人間に対する考え方の定期的なアップデート

訳も分からずに涙が流れる経験をするのはこれで3回目。1回目は母親、2回目は元カノ、そして今回はSV。

そのどれにも共通しているのは、自分の思いが伝わらなくて、しかも相手がこれからも関係を継続させていくであろう場合ということ。ちょっと日本語おかしいかもしれないけど、容赦してほしい。これからも関係を継続するであろうはずなのに、自分の大事な思いが伝わらなかったとき。こういう経験をしたのち、自分はしばらく真顔になって、無味無色の世界を過ごした後、唐突に涙が流れだす。

母親も、元カノも結局、自分から離れた。自分から離れることで、二度とそういう思いをしないようにした。今回はSV。少なくとも、コンスに上がるまでには、同じPJT内で仕事する必要がある人。多分。

あと、SVもそうなんだけど、今回は後輩も一因となっている。あの後輩と接するとき、俺はいつも母親を思い出す。ASDみが深いあの母親を。いっぱしの感情は持っていながら、相手に対する技術的な配慮ができない人間。正直、発達障害だと思っている。そういう人間と一緒にいたら、俺はどうしても不幸になる。
SVもその気質があると思う。だから、俺はなるべく遠ざけるようにしたいと思った。これからは3重くらいの境界線を引きたいと思った。一方で、それまで境界線を引いていた別の上司に対しては少しだけ心の距離が近くなった気がした。

あの人はあの人で、公共の場でフィードバックすることが良いことだと思っている。と思っていた。それが朝会のような公共の場ではなく、ハレの舞台でなら許される、ないしは、良かれと思ってやっている。それは、恐らく自分自身に対して納得や自信がないことの裏付けであったりするのだと思う。私だってそうだ。だから周りを下げたり、逆に上げたりする。そういうところが、ある種、人間的に近い性質を持っていて、共感できるからこの人はまあ、、、いい人なのかなと思えるようになった。

 

期待しないということはどういうことか

私は最近、二つの異なるベクトルを持った思考でいた。
一つは、人から好かれたい、好かれるにはどうすればいいかということ。
もう一つは、人に対しては期待をしないということ。

前者の姿勢は、今もなお探求中であるが、だからこそ2つ目のようなベクトルの思考も生まれている気がする。私はいま、今までにあったことない人と積極的に交流しようとしているが、だからこそ、サプライズなことが多い。当たり前である。

だから、今まで自分が無意識のうちに持っている、人に対して思う「これをやるのは当たり前」という考え方をなるべく持たないようにしている。だって、そう思って違ったら、毎回消費するのは自分だから。

ただし、サプライズが起きてから、ああ自分はこういう考え方を持っていたんだなと初めて気づかされる時もある。今回のSVなんかもその例である。

信頼とは何だろうか?
期待とは?信頼するということは、期待しているということではないのか?
信頼していた人間が、期待と異なる挙動をとった場合、それに対する心理的なリアクションをどのように制御できる?

結局、私はいまのところ、レジリエンスが重要なのではないかと考えている。
そして、レジリエンスのためには、自己受容が大切であり、自己受容を意識的に、そしてお手軽に高める方法は瞑想だと思っている。

 

今回も、恐らく脳機能の低下が生じていると思えるくらいなので、継続的に瞑想を続けて回復を図っている。

 

今後はきっと、人を信頼するということが、人から好かれるということとつながる気がするが、そのリスクとして、ある種の期待が裏切られたときのBadをいかに減らすか、そして、それからいかに立ち直れるかが重要だと思った。

これからきっと、そういう場面は沢山あると思う。また、涙を流したくなるようなときがあると思う。そうした時に備えて、これから継続的に瞑想をすることでレジリエンスを高め、適切な期待感を持ち、信頼性の高い信頼関係を築きたいと思う。

 

人への思いやり

私は振り返ると、親族関係でもないのに、人から愛情を与えられることが多いと感じる。主に職場の上司や同僚、それから友人。どれも女性である。どの人も、恋愛関係には至らないが、やはり女性のすごいところは母性だと思っている。傾向的にね。もちろん男性でも母性ある人はいる。私の上司だってそうだ。

今日なんとはなしにあった行きずりの女性からだって、久々に可愛いって言って撫でてもらえたり、抱きしめてくれたりしてすごく満たされた。めちゃくちゃ巨乳で顔も小さかったけどさすがにデブすぎた。やばかった。でも、それでも、沢山お話してくれて、あらやしきはふんふん聞いてるだけで楽しかった。好き。

 


そういう意味でいうと、私は与えられることが多い。一方で、誰かに与えるということがまだまだないと思っている。あるとしても、それはメサイアコンプレックス的なものが多いように思う。自分の抑圧された不満足感を、他者を救うことによって、満たされようとしている。それはかつての母親の姿と重なる。

そういう意味でも、俺はまず瞑想を続けたい。そうして自分の本当の気持ちに気づき、適切なアクションが取れるようになりたい。まずは自分のことから。

少なくとも仕事に関しては、
上記に書いた通り、ちょっとした人間関係の歪みが、自身のプライベート生活にも大きく影響を与えることにもなるし、いわずもがなら仕事生活にも与えるので、これからはより一層、人間関係についても(逆説的だが)気にかけるようにしたいと思う。

仕事のクオリティに対するフィードバックや見方は、あくまでも定量的に、しっかりと見定めて接していきたいとは思う。

 

イナズマイレブンは偉大

久々に脅威の侵略者編を見ているが、あれは本当に人の心の闇をすごくうまく表現しているアニメだと思う。
音楽もサイコー。