力を貸してくれないか?

「力を貸してくれないか?」
そういう言葉がボクの心の中で響いた。いま自分がやろうとしていること、作ろうとしているアプリは自分一人では作れない。
少し前までは、自分がザ・ENTJの考え方で他人への協力を仰ごうとしていた。つまり、いかに自分の目的を達成するために、関わる人をコントロールできるかどうか。
そんな前の自分からは出てくることが想像できないような言葉だ。

でも、今の自分にはぴったりな言葉だ。

alaya-shiki.hatenablog.com

この記事でも書いたように、俺はいま開発に着手しているアプリは、自分の夢をかなえるためのものでもある。それは、自分がいままで受けてきたもの、もらったものを社会に還元するという感謝でもある。僕は、親からもらったものより、親以外の人間や社会から栄養素をたくさん受けて生きてきた。

特にアニメや漫画のカルチャーや、それ関連で繋がれた友達。
作品に出てくるキャラから学んだ価値観のおかげで、今の自分があると思っている。だから、そうした「好き」を起点にした社会的な繋がりがもっと増えるような社会にしたいと思っている。

「力を貸してほしい!」
そうした心持で、発注をしたいと思っている。
まだまだ未完成だけど、プロトタイプのアプリも自分で開発できた。それで十分だと思っている。もし改修が必要になれば、自分で少しはいじれるくらいにはなった。だから、ここから先は自分の要件を改めて再定義して、それをデザイナーとプログラマーにお願いしたいと思う。

お金がかかるからその点はリスクだけど、でも、怖さを抱えてボールを蹴る。それがいつだって同じだ!

司令塔とプレーヤーの共存こそ俺の本質

一番、自分らしくいられる瞬間はいつか。
自分が力を、ポテンシャルを120%発揮できていると思える瞬間はいつか。
自分で鎌を持って草むらを切り開いているときか?仲間と協力してボールをゴール手前までもっていくときか?それとも、シュートを決めるときか?ゴールキーパーとして、皆をサポートしているときか?それとも全く新しい必殺技を考えているときか?

俺は、偉そうに物事を上から俯瞰して、構造を把握して、世界を手中に収めてようとしているときが、きっと自分が一番自分らしくいられる。
抽象の世界に属して、存在や正解が揺らぐことのない、確実に安全な場所で、この世界を見て、語り、そして、それをみんなに伝えることがすごく好きだ。

皆が見えていない世界を、誰よりも高い視座から眺めて、未来を見通して、
必ず成功に至る道を考えているのが好きだ。そして、その時こそ、心から安心して至られる。

私は、こと人間関係においては、つながっておきたいと思う人から無視されたり、ぞんざいな扱いを受けたりすることが本当にストレスで、しかも、不安の一因になる。
そんな一面を最近、お酒に酔って吐露してしまいがちなことを後悔している。お酒には気を付けたい。そう思う自分の心の弱さを認識した一方で、自分にとって本当に幸せなこととは何かと考えるきっかけも得られた。
孤独であることは不幸の要素の一部だが、一方で幸福とは不幸でないことではないと思う。不幸とは苦痛を感じることである。苦痛を感じないことが幸福ではない。幸福を感じられる瞬間は、快感物質を感じているまさにその時である。

冒頭でも言った通り、私は仲間と協力してボールをゴール前までもっていくことが自分らしいとは思えない。そんな時、自分はきっと無理をしている。誰かにパスをする瞬間、頭のどこかでは一歩その場面を引いてみている自分がいる。結果的に、司令塔的な役割になって、いずれ自分がパスの指示を出す司令塔になるだろう。
一方で、完全な監督は自分らしいかというと、そうではない気がする。年齢の問題かもしれないが、結局、私はフィールドで戦いながら、司令塔でもありたいのだ。
きっとその方が、成功に至るまで早いと思っていることと、シンプルにその探り探りのプロセスが楽しいと感じる。だが、全体像が見えなくなったとたんに、私はぐらつき、何もできなくなるといっても過言ではない。常に一歩引いた視点で、自分とその周りを捉えていたい。だからこそ、そのとき、自分というプレーヤーが、肉体が、精神が、水を得た魚のように自由に動き回れるのだ。

だから、私は本質的には、司令塔としての自分と、プレーヤーとしての自分の両方がいるのだ。どちらが私の本質であるというより、両方が同時に存在しているとき、真の私らしさが感じられる。

どちらか一方に偏った時、平衡感覚を失い、転倒する。

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今朝目覚めた時の、

体の少し火照っているけど、爽やかな感覚

今日も素敵な1日が来るという予感を伴った

鮮やかで、でも、その瞬間を、その時の一瞬を擦過しているような感覚

あの日、狂うほど好きだったあの人が私にもたらした感覚

その感覚がいつも私の世界を煌びやかにした

私のエネルギーの源泉だった。

アニメやゲームから得られる世界とはまた違ったもの。あの若さ、あの朝、あの昼下がり、あの夕日、仲間、先輩、友達、教科書、先生、眠気、鬱屈、退屈、怒り、甘え、恋、ときめき、そして、希望と夢。

 

何でもできる、何にでもなれる

自分は無敵だ。偉人の生まれ変わりだ。特別な人間だ。俺が1番だ。

 

そんな感覚。

 

今朝、久々にその感覚になった。きっと、その感覚は俺をここまで連れてきてくれた。いや、そんな俺だからこそ、いまここに立てている。色々な紆余曲折があり、悩み苦しみ、道が開けてはまた悩み苦しみ、その連続だった。

だんだんとはっきり見えてきそうな未来。自分の能動的な意思がなくとも、私の行く末がぼんやりと見える未来。

あの情熱的な宝石を自負する感覚は段々となくなってきている。その一方で見えてくるもの。大切なもの。欠かしちゃいけないもの。守らなきゃならないもの。

 

一見して見たときの、無防備や無鉄砲ともいえる愚かな勇敢さ。荒野を駆け抜ける獅子のようなエネルギー。それがまさに私だった。

 

25歳。もうすぐ10年が経つ。

あの情熱的な、夢のような日々が始まってから。

必ず目標を達成する心と能力。それと犠牲にしてきた自分の本心を取り戻す、「いま・ここ」を感じる力。その統合の先に、いや、その過程にはもしかすれば、こうした「あの日の」全知全能感がいるのかも知れない。

いや、

そうでなくとも、、。

 

俺は「馬鹿」だが「天才」ともいえる

あの日の感覚を取り戻したい。

その為にこうして書いている。呼び起こしている。

孤独の100年にはしたないねん

自分はここにいてよかったんだろうか。
この飲み会の場にいて、邪魔じゃなかっただろうか。本当は俺以外で話したいことも沢山あったけど、話せなかったんじゃないだろうか。俺は失礼なことを言って相手の気分を害さなかっただろうか。もうこれから、二度と気にかけてもらえないんじゃないだろうか。怖い。怖い。怖い。捨てないで。見捨てないで。もっとボクのことを見て。見放さないで。いやだ。もっと一緒にいたい。別れはいやだ。痛いよ・・

 

僕はいま、職場の同僚に対してこう思っている。いや、彼らに対する自分の中の思い。

ちょっと自分でも異常だと思えるくらい、自分に自信がなくなっている。

 

多分そうした不安がこの土日でずっとあったんだと思う。だから、俺はずっと、上司からどうやったら見放されないかを考えて、そして、そのために上司から勧められた本を読んで感想を伝えることで、見込みのある若手だと思ってもらおうと思っている。

 

と俺は思っている。

 

本当に自分が何を考えているのか、感じているのかなんて、実は俺自身にも分からないのかもしれない。

 

凄く不安だ。もう2度と会ってもらえないんじゃないか。
過去の自分に戻りたい。そして、、、。

でも逆に考えてみよう。それは、相手も同じことを考えているんじゃないか?
Yさんだって、恐らく本音で何かを語った覚えはないような気がする。それは、シンプルにあまり本音で何かを語ったことのない別の上司がいたからかもしれない。俺とサシで話しているときは、かなり自由に語ってくれたように思う。俺のことが心配だと、言ってくれていた。パフォーマンスかもしれないが、それでも俺のことを褒めてくれた。それだけ俺にやはり関心があるのかもしれない。

一方で、Tさんは自身の夢について語ってくれた。自分がチームにいられなくなった時が自分の最後だと語っていて、そして、自身のスキルや哲学など全てを私たち後輩に託したいと打ち明けてくれた。(それに対して、吉田さんは「何か言ってくれたら受けますが、、」みたいなドライな返しをしていたが。。」)

きっと僕になにかを二人とも期待してはいたと思う。俺が二人と話すときと同じくらい、開放的な人間で振るまうつもりだと思っていたかもしれない。一方で、俺は二人が話してくれることが嬉しかった。ただそれだけでよかった。正直、司会みたいなことをしたかった。それは、前に同期と大学の友達をつなぎ合わせようとしたときも同じだった。私は、結局、「その場にいてよかったのかな?」と思ってしまう。

凄く矛盾した話に聞こえるかもしれないが、俺はヒトのつながりが増えるだけでいいと思っている。そこに必ずしも自分がいてほしいと思っているわけではない。

いや、むしろ純粋なつながりの前にして、自分は一時退散をしたいくらいかもしれない。なぜなんだろう。そこに残るのは、元々もっていた低い自己肯定感しかないからか?

 

書いててまた悲しくなってきたな。お酒はやはり不安を感じさせる。今日はとりあえず寝ます。2冊も本を読めて言い一日だった。筋トレもちゃんとできたし。

 

そうだ、思い出した。俺はさ、めちゃくちゃすごいと思うよ。自分でも積極的に言っていきたいね。だって、幼稚園は不登校でさ、家庭は親同士や親と兄弟同士の喧嘩が絶えなくて、たまに死のうとする家族を幼いながらの子供が、自分を犠牲にして、自分を一人にしないでという心の叫びをぐっと飲みこみながら、自分