善意や忠実さが時には人を苦しめる

 

ここ数日間、わたしは自分史上最高に他人のことで悩み、苦しんでいた。

 

もうすぐで付き合って5か月になる彼女の習慣的行動に嫌気がさし、彼女に指摘したが、自分の思い通りの返答が返ってこない、すなわち、彼女が自身の行動を改善できそうな言動が見られない、かつ、彼女の善意が見られるため、私は彼女に別れを告げたいという思いと、これからの私と付き合い続ける未来を見据える彼女を傷つけてしまうことになるから別れを告げたくないという思いの間で葛藤している。

 

MBTIの性格診断において、

無能だが忠実な部下を切り捨てることに躊躇があるかどうか、という項目があった。私は今まで、躊躇なく切り捨てられると答えていたが、もしかしたら結構ためらうタイプなのかもしれない。

 

いや、今回は私を成長させてくれた、私に愛情を与えてくれた彼女に別れを告げるという行為がどれほど恩知らずか、という点も見逃せない。

 

恩知らず、か。

 

パワポケ13で、ゆらりは麻美に対して恩返しのために交流を続けているといった。しかし、麻美はゆらりにそんな思いで付き合い続けてほしくないという思いをぶつけ、ゆらりは精神的にゆらいでしまう。結果的に、対等な立場で彼女たちは付き合うことを選択したが、私はどうだろうか、対等に付き合い続けるということを選択できるのだろうか。

 

今、実家に帰って、両親と改めて接して思うのは、やはり愛情とは精神的なもの、形而上的なもので尊いものではないということだ。これは神条柴杏も言っていたなあ。

愛ゆえに、対象に対して害を及ぼしたり、あるいは秩序を乱す行動が是とされるような文化があるが、それはステークホルダーにとってなんとも有害なものであろう。

私の母親は、子供達に対して真の愛情を訴えかける。普段は、それを行動を以て示すことができないが、実は思っているんだよ、という。

 

しかし、私の意見としては、そんな愛情をもっていれば、子供が安心して暮らせるような環境を提供できるはずだし、むしろそうできないことに対して申し訳なさを感じてほしい、あるいは、子供自身が家族から離れたいと思ったのなら、その意思を尊重すべきだと思う。だって、そうではないか?子どもだって、一人の独立した存在である。これから大人になり、親なしで行動することになるのだ。というか、母親のそうした愛情は、愛情ではなく、思想や文化の押し付けの一種であるだろう。

 

こういうことを母親に反論すると、母親はガチギレしてきた。LINEで長文で。もう面倒くさいから見なかったし、とりあえず謝るようにした。(ふと思ったが、相手の気持ちを第一に考えるタイプの人であれば、とりあえず謝るということを第一の行動だと考えるだろう。私のように、見せかけの謝罪ではなく。それが今の彼女、ということかもしれない)

 

まあともかく、ちょっとは成長したと思った母親に対して油断したが、やっぱり母親は未熟な動物のままだったということだ。

 

私の思想は変わらない。

本当の愛情とは、安らぐ気持ちにさせるような行動を習慣的にもたらす思考である。

つまり、「あなたを愛している」という感情の発露だけでは愛情ではない。それは好意である。

 

世間は、愛という言葉に対する解像度が低すぎないか?害愛、真愛みたいに新しい言葉を作りたい。