うん、きちんと言語化しよう。

このもやもや、悲しみ、怒りの感情は、ぶちまけることで整理されるかもしれないが、

それは少し他人を傷つけてしまうリスクがあるので、まずは自分の中で落ちつけよう。

 

まず、私は謝罪とかそういうのが本当に嫌い。それは、自分で納得していないとき。

とある文化に馴染めないこと、それを理解できないこと、私が私であると敢えて主張すること、それぞれの事柄に対して、いつもとは違う状況にさらされて、とてもストレスがかかることだ。

 

怒りや悲しみを感じさせた人、(それが、私自身の考え方によってそういう感情を抱いたかもしれないけど)そういう人に対して距離を置くこともできるけど、でもそれじゃ根本的な解決にはならない。解決というのは、相手を更生させるということではなく、私やその人が幸せになることにはならない。私は、そうした人のバックグラウンドを見ることなく、その人を切り離してはいけないと思う。もし、自分が耐えられないくらい苦しんでいたら、それはもう私は離れてもいいと思うけど。

 

哀しい感情もある。今まで親しくしていた人たちが、私のことを敵視しているように感じるから。私は、親しくしている人から嫌われることが、本当に悲しく思う。まりちゃんしかり。

 

怒りの感情もある。彼らが、適切な対話をせず、粗暴な配慮の義務をこちらに投げかけて、勝手に、非論理的に怒っていることに対して怒っている。彼らは私自身の都合を考えずに、私の状況を想像せずに、自分自身の感情と想像にまかせて私を非難している。いや、もしかしたら彼女らはそれほど怒っていないのかもしれない。それを確かめる気力も勇気も今は持ち合わせていないが、少なくとも、彼女らがそうした怒りを持っていると決めつけるのは失礼にあたるだろう。とまれ、店長はそうした感情、義憤ともいうべき感情が働いているだろう。

 

どうしたらこの感情を晴らせるだろうか?

誰かにこのことを話しても

 

少し、気持ちに余裕ができたので、また別の視点で考えてみる。

しぶとく生きるということを実践してみる。

 

そもそも、本当に私が悪いのか?いや、そもそも私は悪くないだろう。

論理的に反論したことに対して、店長は論点をすり替えて話してきた。だから、彼もきっと心の底では自分が悪いと思っているんだろう。

なぜ、私が下に行かなきゃならないのか?

 

そうだ、私のフラストレーションは、

こうした日本的な文化に屈服せねばならないことに対してもたまっている。

言わなきゃ分からないのに、明示しない文化。

 

私はそうした文化が本当に嫌いだ。主語を曖昧にする文化が嫌いだ。日本語を正しく使おうとしない奴らが嫌いだ。シフトの件だって、私は全く悪くないだろ。契約とはそういうものだ。隙を作った奴らが悪い。悪いというのは道義的に悪いのではない。

 

そもそも、貴様らがそういう不便な職に就いたのが悪いんだろ。貴様らが学生時代、勉強しなかったせいで偏差値の低い大学に行き、殆ど何も考えずに就職してそのままのらりくらりしてきたのが悪いんだろ。貴様らの一側面の能力や振舞には尊敬するが、貴様らが抱いている負のコンプレックスをぶつけるサンドバッグに私がなるつもりはない。来るなら来い。いや、やっぱ来るな。少なくとも、私と貴方たちは精神的にも肉体的にも独立している。もう一生関わることもないだろう。しかし、ここまで面倒を見てくれたSさんやGさんには特に感謝をするが、それ以外の人はあんまり感謝はしない。それでいいだろ?私は何も教育もしないし、面倒くさいからそれなりにやりすごす。それで苦労するのはお前らだからな。いや、お前だからな、店長。いいか、この世は一度きりしかない。そんな貴重な私の人生に、お前が入り込んでくる余地はない。いいか、私はこれからお前に一切関与したくもないし、プライベートなこともしゃべりたくない。俺はそういうつもりでいる。でも、こんなことを本人に直接言うのは、もっと面倒なことになる。俺はそんなに優しくないからな。さようなら。

 

はあ。ちょっとは楽になった。そうだ、私は繊細でもあるけど、ちゃんと武器は持っているんだ。俺は、しぶとくいきたい。でもこうした繊細さも持っているのは素晴らしい。でも、この特性は、本当に大事な人に使いたい。それが人生だろ?この世に神はいない。優しくしてこなかったのは俺のせいじゃない。

 

・・・・こういう気持ちは、もしかしたら、他の人のあるのかもしれない。政治家だってそうだ。本来、一度きりしかない人生をどうして他人のために、それほど費やせるのだろうか。そもそも、少しでも他人のために動いてくれていること自体、ありがたいことではないのだろうか。安倍さんだって、この前打たれて死んじゃったけど、彼だって彼が守りたいものがあったはずだ。その弾みで、殺されてしまったのだ。人間とはそういうものだ。抱えるものが多ければ多いほど、背中に受ける銃弾は多くなる。かもしれない。

 

本当の意味での平和って何だろう。どうすれば、実現できるんだろう。

自分を大切にすること、それはとても大切なことなのに、いつか、他人や自分でさえも蔑ろにしてしまう。それは人間がただの生き物だから?限界があるから?

 

心を少しは許していた人から、攻撃を受けたとき、人はいろんな鎧を着ると思う。

俺は、人より有能であるという武器を以て、基本的にあいつらとは違うという鎧を着る。それができない人?は、別の鎧を着る。本当の自分を見せないようにしたりする。フジタツのように、周りを楽しませることで自分の居場所を作ろうとするものもいる。だから、本質的には同じ体験をしているんだ。