犯してきた罪 希望 有能

私はクズだ。

クズというのは他人の好意を無碍にしたり、恩を仇で返すような人のことを言う。私は今までそれを繰り返してきた。沢山の人を不幸に、不快にさせてきた。そして、それを彼ら自身に償ったことはない。

 

何故クズになったかを考えた時、それは先天的なものと後天的なものの2つが要因としてある。割合は正直分からない。だが、もはやクズとしての感じ方はある程度、私の中で固定されるようになっている気がする。

 

罪悪感を感じる。そして、そんな私が幸せになっていいわけがないと考えるようになっている。だから、他人のために頑張るしかないと思うようになっている。

 

まず、これは自分にとって新しい変化だ。知恵袋にこの罪悪感やこうなった原因を外的要因に帰属したことを書くと、責任転嫁しているだけですと言われた。これは一つ大きな要因だ。

 正当性があるかどうかはともかく、私は確かに責任転嫁しようとしている。そうした自分を見つめはことが今はできている。

 

昔のように、クズであることから目を背け、他人に責任を転嫁しないようになっている。自暴自棄になっているわけでもない。ただ、少し不健全な状態ではあると思う。

 

 

しかし奇妙なことに、この状態の方が私は他人から羨ましがられるような気がする。それはきっと2つの要因。1つは、自分を大切にしないから。2つ目は、1つ目の要因が転じて相手を大切にしないからだ。

1つ目については、ENTJになるきっかけでもある。2つ目もそうだ。他人は多かれ少なかれ刺激を求める。理想を求める。一度、内向的感情にだけ意識を向けたからこそわかる。内向的であったり、上手く目標のために頑張れない人にとって、何がなんでも目標を達成しようとしたり、達成する人は輝いて見えるものだ。そして、そういう人たちはこの世に多くはいない。

 

どうすればいいのだろう?私はクズで、積み重ねてきたものから幸せになってはいけないと考える、でも、幸せになる権利はあるはずだと考える、幸せは与えられるものではなく、自分が感じるものだからだ。これは、相反している状態に思えるが、不思議と今は調和している、バランスをとっている。

 

きっと、今までの自分が犯してきた罪は認識して、それを償うための努力はする、それも人一倍にすると考えて入るものの、他人を幸せにするには自分も幸せになる必要があらと知っていたり、自分の幸せも経験していたりするから自身の幸福も手放さないのだろう。

 

何かはよく分からんが、とにかく、思うままにやってみようと思う!