I wanna live my wonderful life.

 

久しぶりにブログを書いてみる。というのも、今日はここ最近でめちゃくちゃ良い日だったから。教訓でもあるが、それよりも今日の素晴らしい体験を忘れたくないからブログに書き残したい。

 

朝から晩までノープランで親友と遊んだ。それも、2人とも子どものころからお世話になった同じ土地で。

何を話したか本当にあんまり覚えていないが、とにかく会った瞬間から面白かった。

最初に自分が渡辺陽一の低クオリティボケをして互いに笑ったことから本当に覚えてない。スタバの席に着いてから、敬語の話とか、ドラゴンボールの話とか、あとふとスラムダンクの話になってから、バスケをしたいねという話とかを、脈絡なく思いつくがままに話していた。頭に思い浮かんだことを投げたら、また上手く加工されて投げられる。お互いにそのプロセスを楽しんでいるから、どんどん良いアイディアが思いつく。気の合う友人と話すことはこんなにも面白く、安らぎとやさしさ、そして信頼感があるのだなと改めて思えた。

 

そんなこんな、成り行きでバスケをすることになった。

成り行きでバスケするの面白すぎるなw

バスケに飽きたら、公園を探索したり、ブランコに乗りながらシンウルトラマンの話をしたりした。子供みたい(笑)

そのあとは、彼女について悩みを話したり、キャッチボールしたりした。

すごく良い時間だった。俺はこのために生きているのだと感じられたくらいだった。

 

そのあとは、最近できた近くの総合施設までドライブをした。

総合施設では、探検をしたり、あるいはまた成り行きで買い物したりなんかもした。

友達が時計を買いそうだったが、私は自分の感じたことをそのまま言葉にして伝えたりしたら、結構伝わって嬉しかった。最終的に買ってくれて、気に入ってくれてるのをみてまた嬉しくなった。人とする買い物って結構楽しいんだなとも思えた。

 

帰りはまたドライブ。エロ系の話もしたりして、くだらない話で盛り上がった。

 

全て、私は満足した。

 

友人は偉大である

 本当の理解者とは。家族だろうか。恋人だろうか。それは人によって異なるだろう。

昨日、私はベッドの中で一人さみしく泣きながら、自分の孤独を嘆いていた。

私には私を本当に愛してくれる人などいない。いるとすれば、今日一緒に遊んだ友人や、この前一緒に旅行に行った人たちくらいだ、と。

 家族ですら、私のことを理解し、安心させてくれないと思った。(ただし、家族は家族で私を食わせたり、あるいは生活させてくれたりするという役割を果たしてくれたことの尊さに気付き、改めて感謝したのはまた別の話だが)

 

 私は、私を大事にしてくれる人たちを大事にしたい。

 

 

当面の課題は、giveを多くするということ

 私は末っ子として、takeを多く経験してきた。だからだろうか、コミュニケーションにおいても、人との関係構築においても、世界に対しても、すべてが受け身で、かつ、責任感にかけているきらいがある。

 

 これによって、自由な発想や行動が可能になるメリットもあるが、

あまりにもこのように我儘では、世界が思い通りにならないことをただ嘆くだけで、自分が辛くもなってしまう。だから、自分から積極的に世界に関わっていかなくちゃならない。

 

 そうやって、自分の居場所を創っていくのだ。