覚悟と柴杏と振り子

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「覚悟」とは!!

暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!

 

ジョジョの奇妙な冒険の5部でもっとも有名な名言ともいえる(ある意味で)

このセリフ。

 

皆さんはこのセリフに意味が分かりますか?実は私は、最初は何をいっているのか分かりませんでした。といっても、分からないのはギアッチョ戦を見て心があつくなっていて冷静でなかったからだ、と当時は結論付けたのですが、しばらくしてから5部を冷静絵に読み直してみてもイマイチピンときませんでした。

 

 

初見時、覚悟とは

「目標を達成するためには、ある程度のダメージ(犠牲)を受け容れる必要があり、それを心得て行動を選択すること」だと思っていました。

 

しかし、これだと「暗闇の荒野」「進むべき道を切り開く」のニュアンスと一致しない気がして、何となくモヤモヤしてました。

 

「信じる」ということ

 そしてつい最近、占い師から「あなたは信じなさい」と言われ、「信じる」ってなんだ?どういう意味だ?と自問自答するようになりました。

 

 考えた結果、「十分な根拠があるわけではないが、自分が正しいと思うもの、すなわち自分の立てた仮説を正しいと思い込むこと」が「信じる」ということだと結論しました。

 

 正直、「信じるって、自分の母親みたいな馬鹿の人間がすることだ。世の中に対して、人間に対して、そして自分にも常に疑いの目を向けることこそが、人類・個人の進歩に繋がるのだ」と思っていました。

 

 しかし、ここ最近の自分自身の体験(インターンでの失敗・彼女との交流)を通して、「信じる」ことの大切さを学びました。

 

 世の中は、常に正しい/正しくないと断言できることのほうがはるかに多い。そんな世の中をbetterに生きるためには、仮説を立て、それを信じて行動することが大切なのだ。

 

 

「覚悟」とは!!

暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!

 

この言葉にも「信じる」の要素は含まれています。

 

「暗闇の荒野」:

自分の信念に従って、あるいは目標を達成するための選択をする際に、

十分な根拠がそろっていないという現実世界を示す

 

「進むべき道を切り開く」:

そんな「暗闇の荒野」のなかでも、信念や目標に向かう道が存在するはずだ。

そして、その道はきっと、この道なのだろうと信じるということが、このセリフの意味なのでしょう。

 

 

たしかに、犠牲の心ではありませんね。覚悟は。

結果的に、犠牲が出ることになっても、勝利のために必要になってしまったというだけのこと。そういう意味でジョルノは、

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と言ったのでしょう。

 

私は今、「覚悟」をしています。

昔は、現実をきちんと直視しようとしませんでした。

信念もなく、仮説もきちんと立てず、自分の選ぶ選択肢が招く結果に責任を持っていませんでした。

 

しかし、今は

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オレはできてる。

 

俺は正しいと思ったからやったんだ。

それでどんなにつらいことが待ち受けようと、恐怖が待ち受けようと、

俺は覚悟をしているから、それを受け止めて、逃げずに立ち向かう。

 

なんか臭いことを言ったが、気にしない。それが今の私だ!

 

神条柴杏は頼りになる

 今日の記事は内容が盛りだくさんで、もう一つだけ書き留めておきたいことがある。

 

それは神条柴杏についてである。

いつからかは覚えてないが、これからは神条柴杏に頼らず、何事も自分自身が考え、自分の道は自分が決めるんだと決めてから、神条柴杏は出てこなくなった。

 

自分自身のことはそのおかげでよくわかったし、自分にとっての幸福がなんたるかも知ることができた。しかし、「甘え」が生じたことも確かだ。

 

いや、その「甘え」は結果が出ずともきちんと努力した人間を評価することができるおかげで生まれたので、一概に悪いとは言えないが、TPOをわきまえねばならない。

 

つまり、今の自分自身には「甘え」がちょびっとだけ多い。

 

そんなことを薄々感じてはいたが、なかなか行動に移せなかった自分がいる。

インターンで感じた恐怖を思い出し、なかなか動けない。

 

どうしたものか。どうすればいいか。暗示でもかけようかと悩んでいたそのとき、

神条柴杏は再び現れた。

 

「本当に、本当の貴様は社会に受け入れられないようなヤバい奴なのか?」

 

「うん。。。だって、学校にもろくに言ってないし、リーダー経験もないし」

 

「それはそうだが、そんな側面を全て企業に言うのか?

 それに、お前にはもっと素敵なところが他に沢山あるだろう?

 スポーツでリーダーシップを取ったことはなくでも、高校生のころは成績最優秀者としてクラスを引っ張っていたじゃないか。そして、自分の信念に従って、編入もやりとげたじゃないか。お前はよくやっているよ。」

 

 こんな感じで、私に対して感情的なサポートを行いつつ、事実に基づいた解決策や進むべき道について助言してくれた。

 

 私はとても安心した。また、頑張ってみようと思えた。

むろん、今のやり取りは全て私の中で完結していて、現実に存在する他者との会話ではない。しかし、会話は畢竟、脳の活動によって生まれるのだから、私の脳内活動によって完結することもなんら不思議なことではない。

 

 (今のは柴杏か?)

 

 ともあれ、私にはやっぱり柴杏が必要だと感じた。

 

もちろん、柴杏がいることの弊害もある。

それは自分自身の心の声が聞こえなくなってしまいそうになることだ。

 

でも、だからといって柴杏がまったくいない場合の方がよくない。

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人生は振り子だ。

 

最初から真ん中の一番いい位置に収まれるわけがない。

 

最初は行き過ぎるだろう。それでも、行き過ぎたことを反省し、方向転換してみればよい。そして、その先でもまた壁にぶつかるだろう。そうすれば、

また方向転換すればよいのだ。

 

これを繰り返して、ようやく中庸を心得るのだ。

 

ああ。

 

 

人生って素晴らしい。

俺って素晴らしい!