嘘をつかれるということ

 

嘘,それもホワイトライと言われるような他人の幸せを意図してつくような類のものではなく,自分の私利私欲のためにつくような嘘をつかれたとき,人はどう思うだろうか。

 

ある人は怒りを覚えるだろう。嘘によって予定を狂わされるということや,誤った情報を植え付けられること,あるいは嘘をつかれるということ自体が侮辱に当たるということ,それが嘘をつかれるということだ。怒りを覚えて当然である。最も大切にしている自分という存在が蔑ろにされるのだ。

 

私はついさっき,ある人から嘘をつかれていたということを知った。

怒りを覚えるどころか,その人に対して抱いていた愛情や恋心のようなものが急激に冷めた。経緯をお話ししよう,簡単に。

 

ある日にその人と私で遊ぶ約束していたが,彼女はとある試験の勉強をしなければならないと言ってリスケジューリングしたいと頼んできた。試験の勉強ならば仕方がない,と私は快くリスケジューリングに応対した。まあ実をいうと,その彼女とのdateは私にとって初のドライブデートだったので,失礼のない運転ができるように遠い実家に帰って4日間ほど練習したくらいには楽しみにしていたのだが。

 

話は変わり,私は彼女にLINEで「なんとなく電話したい気分」と送った。彼女は「それなら今晩の夜に電話しようか?」と言ってくれた。今晩の夜,というのはまさにリスケする前のデートをする予定の日だった。久しぶりに彼女と話す。少し年上の彼女と上手く話せるか,不安と緊張が入り混じった心持ちで約束の時間帯を過ごしていた。

 

・・・しかし,約束の時間になっても彼女から連絡は来ない。「おかしいな,何かの用事が長引いたり,忙しいのかもしれない」そう思って,数十分は待った。それでも連絡は来ない。私は彼女に気を使わせてはいけないと思い,「都合が悪いならまだの機会でいいよ」とLINEを送った。不安と緊張が興奮と入り混じっていた感情の渦の中にいた私は,少しだけ安堵した。

 

ふと,彼女のインスタを見る。もしかしたら,自分に愛想を付かしてブロックされてるかもしれない,そんな風に思ったからだ。ところが,普段と変わらないいつもの様子だった。ただ一点を除いては。おかしな点というのは,ストーリーをまとめたものが表示されなくなっている点だった。ストーリーズが表示されない理由は2つあることを知っている。1つ目はそれ自体を消している場合。2つ目はストーリーズを非表示にしている場合だ。

 

「おかしい。何かやましいことを隠しているのでは?」

実はいつもと違う点はもう一つあった。それは,他人の投稿に彼女が紐づけられているものが1つ追加されていること。その投稿をした人物は男で,どうやら一緒に時を過ごした人物らしいことは分かった。ますます疑いは深まる。

 

いや,疑いも何もないのだが実は。何故なら彼女は私とは特別な関係を結んでいるわけではないから。彼女がボーイフレンドを作っていたとして,私は彼らの中を規制できるだけの権利を持っているわけではない。

 

さて,嘘というテーマに関わるのはこれからだ。

私は別アカウントで彼女のインスタを見てみることにした。もしかしたら彼女が何かストーリーを上げているかもしれないからだ。案の定,彼女はストーリーを上げていた。

「やっぱり,自分にやましいことがあるから非表示にしていたんだな。男と出歩いているストーリーだったらちょっと悲しいな」そんなことを思いながらストーリーを見てみると,男とではなかったが,どうやら下関や北九州に旅行をしているらしいことが分かった。

 

男とデートしているわけではないということを知り,安堵の表情を浮かべた私だったがそれもつかの間。よく考えると,今日という日はもともと私と遊ぶ約束をしていた日ではないか!!つまり,事態はこういうことだろう。”親友から遊ぼうといわれたが,遊べる日はすでに別の男と遊ぶ約束をしていたので,その男には申し訳ないが日程をずらしてもらおう,それも上手くいくように「試験があるから」という嘘の理由もつけて・・・”

 

彼女もきっと私を騙したくてだましたわけでないのだろうと思う(良い人すぎるだろうか?)彼女も善人だと思っている。でも,今までの行いを振り返ったとき,私に気が合って,かつ善人であると断言できるかは怪しいところだ。

 

嘘をつかれたということを知ったとき,それまで昂っていた桃色の感情が急激に色褪せてしまった。言い方は悪いかもしれないが,彼女は誠実な人ではないと思った。

 

案外,怒りを覚えなかったことに私は驚いた。誠実ではない態度を見せられた時,私は決まって激昂していたように記憶している。(「ヤツ」とか)

なぜ昔の自分は激昂して,今の自分はそうではないのか,理由は判然としないが推測はつく。考えられるのは,自分自身を見つめることが昔より上手くなっているということや,あるいは誠実さを重視するようになっているからだろうか。

 

今日は,ここ最近の「愛」を体験したことについて振り返るつもりだったが,今のところそんなことを書ける気力がない。とりあえずお風呂に入って,やることやってまた考えてみる。

 

くそー。今年はつくづく不幸な目に遭っている気がする。

不幸とはどういうことかというと,人という観点では,人に恵まれないということだ。それは誠実でなかったり,自分と相性が悪いなど。

それでも,最近のわたしは不幸にも動じない心を育めている。何事にも意味があるのだろう。