「好き」【NARUTOとエヴァンゲリオン】

NARUTOは傑作だ。間違いなく,週刊少年ジャンプ誌の中で傑作の部類に入るだろう。

自来也VSペインを中学生の頃ぐらいに読んでいこう,ほとんどNARUTOに手を付けることなく22歳まで時間が経った。

ほんのとあるきっかけから,私は今まで自分に蓋をしていた「アニメや漫画に対する純粋な好奇心」を解放させようと思ったため,NARUTOを3日前から読み返し,ついさっき読了した。

結論から言うと,私はNARUTOが大好きな作品の一つになった。

それを近況を交えて,読者の方に伝えたいと思う。

私は自分の今までの経験上,何かを批判することには自信がいくばくかあるが,好きなことを語ることは中学生以来あまりしてこなかったため,不器用な形でNARUTO愛を語ることになるかもしれないが,ご了承いただきたい。

NARUTOのどこが好きか

 私はまず,読んでいて最も共感できたキャラクターは

薬師カブトうちはサスケである。いわずもがな,どちらも(ほぼ)悪役として描かれているが,私はこの2名に共感した。

 

 薬師カブトについては,薬師カブトの回想が入ったところでとても共感した。結論から言うと,彼の「自分が何者か分からず,自分のアイデンティティを確立するために信じた他者から裏切られたこともあり,世の中のあらゆる情報を集めることで自分が何者かを見極めようとした」というところに共感をした。そして,作中でも明らかになったが,彼は結局,自分自身を見つめることができなかったことがすべての原因だということが描かれている。

 カブトは元々,孤児院の者たちに幼少期の頃に拾われる以前の記憶が全くなく,自分の名前や出自を知らない状態だった。「カブト」という名前じたい,孤児院でかぶっていた兜の被り物から由来している。そ

 

 私自身も彼によく似た経験をしているし,彼とよく似た好奇心と行動をもっていて,取っている。私は子供のことからあまり学校に行くことがなく,そのせいもあって社会的に自分を規定するきっかけが乏しかった。また,カブトが孤児院のマザーから愛され,そして裏切られたように,私も母親から愛され,そして裏切られた。自分自身にとって,他者が当たり前のように持っている「居場所」なんてものは存在せず,自分が何者か分からなかった。そんな人間は,落ち着いて一つの物事に集中できるだけの安心感を持っていないために,オロチマルがカブトに表面的な居場所を与えられたように,私もなんでもいいから居場所を得られる場所を転々としていた。

 

 カブトは,結局「イザナミ」という術にかけられることによって,「自分を見つめ,自分を受け入れることがなければ幻術から出られない」ことになった。自分を見つめなおし,失敗を受け入れたカブトは,のちの瀕死のサスケを救出することになる。

 

 

 次はうちはサスケだ。彼は,とても愛情が深いが故に,兄の思いを受け継ぎ,そして兄に復讐し,里に復讐することを目論み,最後は自らが孤独となってまでも里を・世界を救う役に自ら名乗り出た。このような自己犠牲の心,それから論理的で冷静な彼の姿は私の鏡写しのようだ。サスケは最終的に,ナルトから根気強い「愛情」を送られ続けることによって,自分自身も「和」の中にいていいのだと理解できた。愛情の裏側に必ず存在する憎しみが発生しないように取り締まるのではなく,自らも愛情を育み,それを世の中に伝播させる役割を担っていくのだと決意させられたのだ。

 

 ここまでNARUTOについて,私の共感したキャラクターを中心に語ってきたが,お分かりの通り,まだまだ私はNARUTO愛を語り切れていない。しかし,愛を語ること,好きなことについて語るのは,私にとってなじみの深いことではない。だからだろうか,好きを語りたい気持ちはあるのに,好きを語り始めると,どんどんエネルギーが失われていくような,そんな感じが今回ばかりではなく,常にあった。

 NARUTOを読むうちに,そうした自分の性格が作られた経歴が分かったように思える。そして,その経歴をはっきりさせることで,今後もNARUTOを含めて自分の「好き」を自由に語れるような気がする。だから,これ以降は,少し自分のことについて語らせてほしい。

 

「好き」を語れなくなった自分とその理由

 昔はNARUTOが好きだった。ナルトのアニメを毎週見て興奮してたし,お父さんに連れて行ってもらったブックオフではアニメより先の話を漫画でみて興奮してた。(巻数が飛び飛びだったので,話についていけなくなってた時もあったが)それに,ゲームキューブNARUTOのゲームは一番やりこんだゲームかもしれない。誰も対戦相手はいなかったが,ひたすらにやりこんでたのでついさっきYouTubeで検索して見たゲーム動画を見ても全く違和感がなかった。お金がなかった中で,NARUTOの漫画は時々買ってた。中学生になっても,BOOKOFFに行けば必ずNARUTOを読んでいたと思う。

 

 当時のわたしの「好き」なものの中に間違いなくNARUTOはあった。

 

 エヴァンゲリオンが大好きになった中学生のころ。私は誰に勧められたのでもなく,エヴァンゲリオンを違法動画アップロードサイトで視聴して,話がよく分からないが逆にその謎に満ちたコンテンツに魅了された。当時,缶ペンというペンケースが流行り,誰に教えられたのでもなく,そのペンケースにエヴァ初号機を掘ったりした記憶がある。彫るために,自分で彫刻用のナイフとキズ防止用か何かで油を購入した。裏面には確かサキエルを彫っていたと思う。今思い返しても,なかなかクオリティが高くデザイン性も優れていたように思う(自画自賛です)

 

 イナズマイレブンは小学生から中学生にかけてずっと大好きなコンテンツだった。このおかげで,私は色々な友達ができた。言語化が難しいが,とにかくあのコンテンツにドはまりしていた。どれくらいハマっていたかというと,あらやしきと言えばオタク,というように言われるほどだ。みんな,イナズマイレブンが好きだったが,アニメやゲーム,劇中歌などイナイレのことなら誰よりも詳しかったと思う。イナイレの話になると私はいつも饒舌になっていた。高校生の頃に中学のころの同級生に合うと,「あらやしきはオタクのイメージしかない」と言われたが,そのときになって初めて自分がオタクっぽいということを自覚した。ただ,認めてはいなかった。なぜなら,「オタク」が蔑称として私に使われていた時があったからだ。

 

 中学2年生のころだっただろうか。転校生Kが自分のクラスに入ってきた。そいつは,身なりも中身も「オタク」だった私に対して,

 「なんでこんなやつがクラスの中心になっとるん!?」

と,クラスが異常であるかのように騒いだ。私は幸運なことに,こうしたオタク趣味に対して興味と理解のある友人が周りにいたから,休み時間は私の周りに沢山友達が来ていたように思える。今思えば,ただオタクだったからということに加えて,優しかったから,というのが大きかったのかもしれない。余談かもしれないが,私は小学生の頃,いじめられていた子達と仲がよかった。というより,いじめに加担することがなかった。それはある意味では社会性の欠如かもしれないが,いじめられている子を見るととても嫌な気持ちになったのは覚えている。だが,それでも声をあげていじめをやめろとは言えなかった。いじめているやつが怖かったからだ。

 話をもとに戻すが,そうして騒いだ転校生Kによってクラスの雰囲気は変わり始めた。そのKはとてもやんちゃで,かまってちゃんで,そして最悪なことに相手の悪口を面白おかしく言う子だった。ただの悪口ではなく,コミカルにアレンジした悪口だったということもあり,中々のカリスマ性を持った子だったと思う。

 

 案の定,私は「オタク!」「びっぱ!(当時は出っ歯だった)」「頭でっかちん♪(頭がでかかったらしいがマジでこれについてはそんなことはないと思う)」などと,ことあるごとに馬鹿にされた。

 ただ,Kだけが私を馬鹿にしたりいじめるのだったならばどんなに楽だっただろうか。カリスマ性を備えたKは,私の友人にまでそうした「いじり」を伝播させた。

今ではあんまり覚えていないが,とても辛かったと思う。私は優しいわりにとても気の強い子だったから,そうしていじられるたびにいじってきた奴らを少し懲らしめていたが,それでも心の傷はついたままだっただろう。

 

 自分が「好き」を表現できなくなった,あるいは存在しないものだと思い込むようになったのは,このときだ。先ほど言った,エヴァンゲリオンのキャラを彫った缶ペンが,Kを代表とした奴らによって汚されたのだ-例えば,キャラのよこに「オタク」「ビッパ」と彫ったように- 私は,私の記憶の中では,それ以降アニメの話を学校でしなくなったと思うし,それに加えて自分の中でそうした趣味を消してしまったように思える。それまで,自分が好きだからという理由だけでやっていた行動も,好きだからだけではなく何か社会的に有利/意味のあるものだからという理由がなければ行動を起こさなくなったように思える。

 

 中学生の頃に何かハマったものがあるかというと,塾に通っていたときにマイクラに間違いない。しかし,マイクラが好きだった奴らと私はクラスが違っていたので,中学3年生の頃の学校での記憶はもうほとんどないといっても過言ではない。それくらい私は,自分を消して生きていたのだと思う。

 

 私は,生き残るため,自分を守るために自分の「好き」を手放した。

何も手放さなくても,と今では思う。しかし,そうする以外に方法を知らなかった。ただ,それだけだ。私が年の近い兄弟を持っていたら,喧嘩などをして自分を主張する大切さを認識して,「好き」を譲らない生き方をしていたかもしれない。でも,私は年の離れた兄弟を持つ末っ子だった。

 

 そうやって,他者から自分の「好き」を,そして自分自身まで否定された。かつて自分が「好き」だったものを好きな他者を見ると,否定したくなった。きっと,「好き」を手放した自分を肯定するためだろう。「そんなオタク趣味,気持ち悪い!」

 

 そうして僕は,何か特定の物事に詳しかったオタクから,周りの目を気にするようになる,当たり障りのない凡人になっていった。ただ,中学生という多感な時期に,強烈に他者から批判された経験からか,以上に他者から批判されないような生き方をしてきたと今では思う。例えば,「容姿」「学力」「学歴」「コミュ力」「論理的整合性」だ。

 私は元々点数が取れるほうの人間ではったが,中2までは本当に学力的な意味では凡人だった。ところが,そうやって他者からの肯定を強烈に求めていた時,親から通わされ始めた塾で点数を取ると簡単に周りから尊敬されたので,勉強が強烈な快感になった。

 もし,このブログを私の同級生が見ているならば,今からする話は大変大きな暴露話になるが,私は高校生の頃,模試で良い点数を取るためにカンニングをしたことがある。ネットで模試の回答を買い取り,番号を必死に覚えてもし当日にそれをただ移すという作業をするだけで,簡単に学年一桁の点数を取り,そして皆に崇められた。普通の人間ならばしないこのような悪行は,思えば中学生のころの経験から既に運命づけられていたのかもしれない。

 

 高校になってからも,自分の「好き」は萌芽しなかった。本当にあまり記憶がない。記憶があるとすれば,それこそ模試で良い点数を取ったり,あるいは学校1の美女と付き合ったりすることで他者からの賞賛を得ていたという記憶くらいだ。

 

 高校2年生に入ると,THE・オタクという容貌をした天才がクラスメートにいた。彼は,自分がオタクであることを進んでひけらかすことはないが,かといって過剰に隠したり恥じたりすることがない男だった。社会的賞賛の一つの指標である「容姿」にこだわる私は,はじめその男をみて最高に軽蔑したし,仲良くなりたくないと思った。だが,今では最高の友達だと思っている。彼は,私の「好き」を3年ぶりに萌芽させてくれた。ラブライブというアニメに私は彼のおかげでハマった。彼のカリスマ性もあって,高校3年生のころにはラブライブをあらやしきが好きらしい,という話も広まりそうになった。私はとても怖かった。自分がオタクであることがばれたら,また中学生のころみたいにいじめられるんじゃないかと思ったから。その時上手くいっていた彼女からも軽蔑されるのではないかと。とてもとてもとても怖かった。だから,私は隠した。

 

 浪人して予備校に入ったとき,クラスメートは全員オタクだった。それも,私の想像を絶するほど何かの分野に精通している精鋭のオタクたちだった。あるものはエロゲーやリョナが大好きなオタク,あるものは鉄道オタク,あるものはアイドルオタク。それでも彼らは自分の好きなものに対して誇りを持ち,その分野のオタクでない私たちに対して無邪気に布教活動をしていた。そして,それに対してお互いに敬意を払っているように見えた。私にとって予備校はとても居心地がよかった。彼らのおかげで,またちょっとだけ「好き」を取り戻せたように思えた。それでも,やっぱり自分の存在意義は社会的に意義のある分野での成功・優越だと思っていたから,模試のカンニングは依然やっていた。

 

 大学に入る前から,少しずつアニメを見出していた。しかし,それも社会的に話せるようなアニメ,あるいは自らの成長に寄与することを教えてくれるアニメばかり見ていた。アニメは目的ではなく,手段になりつつあった。大学に入ってもその傾向は続いた。新しく始めたダンスは,目的:手段=3:7の割合だと思う。

 

「好き」でいいんだよ

 目的と手段,「好き」と社会的成功。私は自らを守るために,「好き」を敢えて見ないようにしていた。自らを守るということは,人とのつながりを持っておくということだ。私は「好き」が人とのつながりを断ち切るものだと錯覚してしまったからこそ,容易に「つながり」を作れる,そんなものばかりを追っかけるようになった。

 

 第1志望の企業からの内々定と,本気で好きだった彼女からの別れ話はほとんど同時に私に伝わった。手段が目的化していた私にとって,当然,彼女と別れたとしても内々定さえあれば,何も辛くないと,内々定をもらう前は思っていた。だが,違った。

彼女がいなければ,内々定も嬉しくなかった。何故なら,私は彼女のために頑張っていたからだ。その企業は,私が今住んでいる地方にある企業で,社会人になってからも彼女とすぐ会えるようにこの地方オフィスを選んだのだ。私にとって,社会的成功は本当の目的,「好き」の次でしかなかった。それに気づかされたのは,哀しきことかな,内々定と別れ話の両方を同時にもらったその時以外はありえなかっただろう。

 

 人間的に魅力のある人間へなろうと

 彼女と別れる際に,私は彼女に「面白くない」と言ってほしいと頼んだ。自分でも気付いていたからだ。「好き」や情熱のない人間だから,面白くないのだと。だから,別れ話を切り出されたのだと。本質を見誤る私は,他者からの言葉によって自分を律しようとした。

 彼女の口から出た「おもしろくない」は,それからずっと私の脳裏にこだましていた。「おもしろくなるにはどうすればいいだろう?」私はコンサルっぽくMECEに方法を羅列してみて,有効な策を次々に実行した。その中の一つとして,有名なアニメや作品,カルチャーを知って話の引き出しを多くするということがあった。

 

 ハリーポッターUSJ進撃の巨人に先に言ったようなNARUTO。私はこれらを「面白くなる」ために見ていた。ただしかし,途中から気付いたのだ。

 これでは前の「つまらない」人間と何も変わらない!

 社会的成功や賞賛ではなく,私と他者との心の通い合いが大切だと理解したところまではよかったが,そのためにはまず自分と見つめあうことが大切だ。

 これはNARUTOを読んでいて気づかされたことだ。これまた言語化しづらいが,とにかく,「好き」を見つめること,これが「面白くなる」ということの第一歩だと私は思った。

 

 エヴァンゲリオン劇場版が完結したが,私がQを見たころよりかはずいぶんと世間に受け入れられているようで,私は嬉しかった。と同時に,にくくも感じた。だが,憎しみは何も生まないということを私はNARUTOで学んだ。うずまきナルトが教えてくれた。私はこの作品が大好きだ。こんなに大切なことを教えてくれる作品を,NARUTOを,そしてエヴァンゲリオン少なくとも自分が否定するなんて絶対にしたくない!

この思いは,もう絶対に忘れたくない。私の「好き」を否定する奴がいても,私は私の「好き」を手放さない!そして,私の「好き」が他の人の「好き」であったときは,心から一緒にそれを共有したい!!今までは,そういう人がいると「好き」が好きじゃなくなっていた。それは,私が私自身を見つめていないからだ。そうしてきた自分を肯定したい自分が心のどこかにあるからだ。

でも,薬師カブトのように,自分自身を,失敗を受け入れ,見つめなおすのだ!

そうすることで初めて,他者と心を分かち合い,喜びを皆のものとして受け入れることができる。本当にNARUTOからは大切なことを学んだ。今日はもう遅いのでここで終わりにしておく。ありがとうNARUTO。そして,今からでも遅くないかな?遅くないよ!「好き」はいつだって自分のそばにある。断ち切ってきたつながりだって,つないでいこう。そして「好き」からつながっていこう!