パワポケという青春のイデア

今朝、ダンスの練習のモチベをあげるために、心の中に神条柴杏を召喚しようとした。そのために、YouTubeで神条柴杏のサクセスストーリーを見返したが、そのおかげでかモチベというか練習に身が入った。

 

今日という今日まで、モチベが上がったことはなかったのだけど、神条柴杏に影響を受けてすぐに自身の精神に変化があった。

 

私は昔と違って今は、自我を持っている。何が好きで、何が嫌いか、誰と一緒にいたいか、何をしたいか、自分の心に聞いたらはっきりとその答えが返ってくる。

逆に、昔の自分のように崇高な理想と目標を自身の胸の内にかがげて、自己犠牲的に行動することは少なくなっていた。

 

その変化があったから、今の大切な彼女とこうやって交際を続けられているのかもしれない。いや、というより彼女との交流がその変化を促し、その変化が彼女との交際を良好なものにせんと促している、いわば相互作用の関係にあるのかもしれない。

 

しかし、自我、今現在の自分にしか集中しないことは、自分に重いストレスを自分からかけないことにもなる。現在にしか集中しないと、成長しないといっているのではない。現に、自分の意識ベースで行動することで、前よりコミュ力はあがったし、人にも思いやれるようにもなったし、接客も上手になった。ただ、ジェットコースターのようなものに対して進んで挑もうともしなくなったし、タスクが分け与えられることに喜びを感じなくなった。(仕事は仕事だとわりきってできるようになったが)

 

そんな自分に対して、嬉しくもあり切なくも感じていたとき、今日のように神条柴杏に再び影響をうけたことで、前の自分のようにタスクを自身に投げかける行為ができるようになった。

 

私は今、この変化がエスカレートして、自分や自分の友人関係を破壊しないかが心配になっている。だから、絶対にほどほどにしたい。自分を大切にすることが、相手のためにもなるのだから。

 

 

パワポケという青春のイデア

 神条柴杏に続いて、パワポケ13のゆらりとあさみのサクセスストーリーも見てみたが、開始10秒くらいで謎の吐き気を感じた。

 懐かしさを異常に感じた。昔のかけがえのない楽しかった記憶ばかりが思い出される一方で、悲しい記憶は思い出されない。例えば、先生から抑圧を受けていたり、当時の好きだった人(キープされていた人)のこととかは思い出さない。このような負の記憶を一緒に思い出そうとするのを止めるために、自己防衛として吐き気を感じるのかもしれない。

 あるいは、「自分もこんな学生生活を送りたかったな」というコンプレックスかもしれない。それは紛れもない体験の一部である。しかし、私にとってそんな体験は・・・。少なくとも、人に言えるような体験は。。。いや、してるじゃないか。思い起こせば沢山、おもしろい話ができるじゃないか。

 

 神条柴杏の、「どれだけ努力しても報われない」という価値観については、哀れだと今では思う。何故なら、報われるかどうかはその人次第だから。自分の心の満足感こそが報われるかどうかなのであるし、仮に魂の有無の話をしているのならば、それは生きている今、どれだけ議論をしてもしようのない話である。

 

 明日、ライブの前に振り作らなきゃだけど、また柴杏の助けを借りようと思う。

来週の土曜まで、お世話になります