ENTJ 価値基準の変化による自身の変化

能力の卓越さに価値があると考えてからの変化

①より自分の心に負荷がかかる感覚になった

②どうすれば有能になれるかを考え,計画するようになった

③自己肯定感が多少高まった

④雰囲気が硬くなった気がする

 

①:

 ただ平凡な毎日を過ごしてそれでよいわけでなく,自分の社会的な能力を磨く必要があると考えるようになったため,「何かやらなきゃ」「効率的に生きねば」という感覚が強くなったような,そうでもないような

②:

これは大きな変化だと思う。終活してから私にはまるっきり計画性というものがなくなった。それまでは,何をするにしても,目標を達成するために必要なことを分解して,それを一つずつ,かつ,確実につぶしていこうとしていた。それは勉強の面でもそうだし,就活の面でも,あるいは恋愛の面や友達との交際の面でもそうであった。

しかし,就活が終わってから,あるいは,当時の彼女に振られてからはまるっきり計画性というものがなくなった。あるいは,そうしようとするエネルギーが欠けた。

 

そんな風にヘタレていた私だったが,能力の卓越性が1つの鍵だという考えにたどり着いてから,私は計画性,あるいは計画を遂行しようとするグリットが再び養われているように感じる。

 

③:

 これは2つの理由が考えられる。1つ目は,先述した価値基準に合致する自分の特徴(容姿・賢さ・コミュ力,内定先など)であるだろう。今までは,自分の価値とは「幸福になること,快楽を得ること」であったが,そんな刹那的なものだけでなく,それらをかなえる媒介物として「能力の卓越性」にも価値があると考えるようになったから,ある意味でそれらを有する私であるという,存在の状態に満足するようになった。もう1つの理由は,膨れ上がった自己像であろう。こればかりは,何が本当で何が嘘かが分からないが,少なくとも自分が思っているほど他人は私を高く評価しない。

③+α:他人からの扱いが変わる

 人は自信満々に人に対して,大きく出られない。むしろ,そんな風に自信満々に震えるのは何か根拠があるのだろう,とか,私もそんな風になりたいとか,憧れの思いを抱くようになる。

 

④:

 一つの価値基準によって,自分を見る目が変われば,他者を見る目が変わる。つまり,自分より下,あるいは価値的に低いと感じた人に対して,「無関心」というよりか「もっとこうした方がよいのに」と思うときもある。それが転じて,怒りになることもある。(これは前の私によくあって,自分では制御ができなかった)これは,良い面に働くときもあるが,自分のコントロールができない限りはたいてい悪い方面に働くものである。だから私は,自己制御を怠らないようにしたいし,そのために瞑想も欠かさずしていこうと思っている。