聞き上手と話し上手,どっちがよいのか?

 

 久しぶりに高校の旧友に会った。

会う前から正直,あんまりその人と話したい欲がなかった。何を話す?その人の経歴について聞いてもよかったけど,あんまり興味が湧かない。そいつはよく哲学について話すやつだったけど,昔の自分ならいざしらず,今は哲学は私の人生を全く豊かにしてくれるわけではないと感じている。

 

 正直,私はかなりイライラしている。今日の会話で心から面白いと感じた瞬間はあっただろうか?それよりも,イラっとした瞬間の方が多い。

 

彼はよく話すのが好きらしい。それも,私の教養に合わない話ばっかりしてくる。それは果たして,お互いが楽しい会話をするために必要なのだろうか?

 

 私が満足できなかった理由は,私と彼の嗜好性が異なることにもあるだろう。彼は,新奇的,破壊的なイベントというよりもむしろ,過去の経験,歴史に関心があると思う。昔からヒトラーとか好きだったし。一方,私は過去の歴史は本質的にどうでもいいと感じている。何故なら,それが直接的に何かに役に立つとは思えないし,それを知るのに費やす時間は別のことに使った方が良いと考える。

 

 彼も彼なりに,私と会話しようと試みたかもしれない。例えば,私の悩みや考えについて,彼の知り得る知識や歴史的な人物の考えを引用して,私の考えを補強,肯定するように話す。しかし,それは面白くもなんともない。接待か?接待なら,少しは満足するかもしれないが,それで満足するのは,その時に話を中々聞いてもらえないフラストレーションがたまっている中年のおやじくらいだろう。私はもっと,バリューが欲しい。

 

 彼のいうことで,参考にできたことがあるとすれば,美女についての仮説である。美女は,承認欲求や自らの美貌については満足しているが,自らの知性や肉体的な部分についてはコンプレックスを感じている場合が多いらしい。だからこそ,そういう強気な美女が好きな男のタイプは,芸人や高学歴のような知性あふれる人や,プロ野球選手のような肉体派が多いのだとか。確かにそうかもしれない。

 

 話変わるけど,今日の私の相槌の反応を見て,話題を変えようとはしなかったのだろか?私であれば,相手がつまらなさそうにしていればすぐに話を振ってあげて,それを盛り上げるように話す。それか,自分自身が道化になって,その場を盛り上げるが。

 

 奴は何も自虐をしてこなかった。というか,自慢が多かった気がする。「俺,結構場を回したりするでw」知らんがな!場を回さないとは思ってないっていったのに,それ敢えて言うって,どないやねん。なんか,私の兄貴みたいな気がしてきた。きもい。聞いてないのに自慢してくるのがきもすぎる。

 

 はあー,マジでいらつくな。なんか純粋におもろない人と話したのがつらかった。満足したのはとりきの焼き鳥くらいやで,あれはコスパよいわ。また行こ。

 

 まあともかく,俺も少しはよく話したいと思うし,もっと自分の独擅場的なトークができる分野を確立したいとは思った。それが自分の課題ではあるかもな。

 

それにしても,ほんまにむかついたなー。美女と付き合ってたのがほんまにむかつく。

 

 人の話を聞かずに?というか、相手が満足しない形で会話をすることがないようにしたいなって。

 人のフリ見て我がふり直せ、っていうけど、今日はその諺を体感できました。素晴らしい1日だった!