無駄をなくすということ

あらすじ

 私は最近,一瞬一瞬の瞬間で自分が満足するような生き方で日常を送っている。今までは,将来的に成功するために勉強をしたりトレーニングをしたり,その時自分がやりたくないようなことでも進んでやるように生きていた。しかし,ポジティブなニヒリストになってからはうってかわって,その時に自分が満足するかどうかで生きるようになった。

 

 こんな風に考えるようになってから,世界は以前とは全く異なった様相で私の前に現れるようになった。世界は素晴らしく,自分次第で幸福を感じられる設計になっているのだと気付いた。私は最早,陰鬱な世界で生きることはないと思った。

 

 しかし,話は単純ではない。将来のことばかりを考えて行動していたときよりもはるかに多くの欲望を認識するようになったので,かえって忙しいと思うようになったし,あるいは,時の制約や人間という生物という制約の中では全てを満足に生きることが難しいと感じるようになった。

 

 時の制約というのは,人はまずいつか必ず死ぬということ。そして,その瞬間瞬間においてやりたいことに対して,それらをできる時間が限られているということだ。

 生物という制約というのは,人間の身体的・精神的な制約である。人は基本的に6時間以上は眠らないと覚醒時には十分に幸福を感じられるような身体設計をしていない。また,(個人差はあるが)恒常的に他者と関わる機会を設けなければ,精神的に病んでしまうということがある。(まあ,この裏側に「人と関わることで幸福を感じられる」ということもあるが)

 

 上記に述べたような制約は,基本的にどうしようもない(と思われるような)ものばかりである。睡眠はきちんととらなければならないし,面倒ごとの可能性をはらむ人間関係の構築もしておかねばならない。

 

 私は今,基本的にIoT関連のことをしていたい。IoT関連でバズりたい。とにかく,大学生のうちに自分一人(の割合が比較的多いと思われる行動)で他人に大きく影響を与えたい。ただ一個の恋愛や友人との遊びに時間を費やすことも私の幸福の一部であるが,それらにすべての時間を費やしたいわけではない。

 

 それでは,どうすればいいか?

 

現状分析

 何か一つのタスクに取り掛かり,終えるまでのプロセスを構造化してみよう

①タスクをやろうと思う

②タスクに実際に取り掛かり始める

③タスクを実行する

④タスクを終了する

この4段階に分けられるだろうが,実際はこんなに単純でない。

 

どこに無駄が生じやすいかと言えば,私は①↔②と③の間だと思う。

どちらの段階でもいえることは,「途中で無駄なことをしてしまう」ことだ。

 

例えば,今このブログを書いている途中だって,スマホで女の子からの返信を返したり,あるいは返信が来てないかをチェックしたりして,30分は無駄な時間を過ごした。

 

(「人間は皆,合理的に生きている」といった教員の言葉からも,この行動はある意味では合理的なのかもしれないが,それでも「ブログを書く」といった行為からは非効率的としか言えない。)

 

一度,それをやると決めたら終わるか,一区切りつくまでそれに集中する。

それが無駄をなくすためにできることの一つ目だ。

 

今日はもう遅いので,いったんここで記事を終了させてもらう。

またのちに加筆修正しよう。

 

P.S.

 ところで,世界に影響を与えるための前段階として,このブログとは別にまた新しくブログを設けるつもりだったが,その構想も今日できずに終わってしまう。こうして,やりたいと思っていたことが自然と消滅していく。忘れることで幸福が形作られるとしても私は納得できない。バランスをとっていこう