スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズ - 作品 - Yahoo!映画

 

サムネイルの映画「スティーブ・ジョブズ」を見た。

思ったことを書こうと思う

スティーブ・ジョブズと自分は似ている

 映画を見ていて思ったことは,ジョブズが私と似ているということだ。似ているというのは,考え方や振舞という点である。

 

世界・人間の意識を変えたい

 スティーブは「歴史という流れに戻すこと、人の意識という流れに戻すこと」と述べて,LSDから感じたことを実行に移している。

 私の幸福とは何かということを考えたときに,決して自分一人の孤独な世界で完結するということは決してない。必ず,他者の人生・意識,ないしは世界を変えたいという思いが強くある。それは共感性からくるものではなく,ただ心の底からそう感じるのだ。それが怒りの感情から来ているときもある。あるいは,単純に注目されたい,自分自身や自分の作ったものを見てほしいという思いからも来ている。高校生活中,私は何かのプレゼンで皆の前に立って,演説をしたことがある。私は,意識したわけではないが,後から先生から聞いた話によると,ステージ舞台の上を歩きながら解説していたらしい。また,話の内容もかなり過激だったが,それでも周りから受けていたようにも思える。何か皮肉めいたことを言っていた気がするが。

 人から注目されたいという欲,それも,人々の意識を変えたい,歴史という流れを変えたいという欲が私の中にある。それはスティーブも同様だと私は感じた。

 

 スティーブは機械だけに注目するのではなく,哲学や禅を通じて「人間の意識とは何か」というテーマにも注目していたらしい。そのあたりも,似ていると思う。

そもそも私が心理学を志した理由は,意識が根底にある。意識の探究は,三島由紀夫豊饒の海シリーズを読んでいた時から興味がわいたように思う。いやしかし,もっと振り返ると,神条柴杏の幽霊の話を聞いた時からかもしれない。

 

 性格については,まさに私だと思った。秩序・合理性・デザインの洗練・トップ・自分で何もかもやりたがり,自分の作品を共有しようとはしない・プロダクトアウトの考え方だが市場に迎合することもなしに「人々の真の幸福」を求めて行動をする。

 

 ジョブズが語る言葉は少ないが,私は初めて「共感」という言葉を積極的に使おうと思うくらい,行動から彼の考え方がよく伝わってきた。だから,見ていてとても没入感があった。

 自分の計画通りにいかないときは,非合理的になり自分の感情が荒ぶるところも私らしい。私は2面性があると思っているが,別にそれは病理的なものではなくスティーブのような人の一つの性格であるということが分かり少し安心した。

悪は悪いことではない

 悪とは,その時代特有の,その社会特有の,その文化特有の共有されたルールからはみ出ることである。あるいは,その場の和を見出したり,協調性を度外視することであったりもする。お世話になった人たちを容赦なく仇で返すようなことになれば,それはある種の「悪」だと言えるだろう。

 

 だが,それは彼の生き方でもある。そしてロマンの副産物でもある。そして,そのような「悪」からAppleは生まれ,Macが生まれ,iPhoneが生まれた。

 

 その時その時の規程の価値観やルール,一般的な道やレールを外れるということは,大多数の人からすれば安心であることは間違いない。しかし,そこから創造的な何かが生まれるわけでもない。

 

 パワポケ7でクロノ博士が悪とはロマンであり,世の中の逆流でもあったがこれからの正義ともなりうるということを話していて,そして概念的にも半ば気持ち的にも納得していたが,スティーブの物語を見てこの考えは確かなるものなのだと確信した。

つまり,最近自分は自分が悪だと感じていたが,それはそうだとしても私という人格の全否定になるわけではないということが分かってよかった

私もスティーブのように生きたい

 最近のわたしは,自分の感性に従って生きることができつつあると思う。

そして以前は,そのように自分自身に従って生きること,心の中の誰かに自分が乗っ取られずに生きることで幸福になれると考えていた。

実際,前よりかは絶対的に人生をエンジョイできるとは思う。しかし,幸福とは刹那的な欲求を満たすことだけで手に入れられるわけではないと知った。つまり,自分自身を知ったところで,自分の幸福像とその時点での自分の間に乖離が生じている場合は,まだまだやることが沢山あるといえるということだ。

 

 「美しいアンドロイドを作りたい」それが最近のわたしの夢である。しかし,打つkしいアンドロイドを作り,それに私の奉仕をさせたところで完全に満足するかというとそうではないと予測する。

 問題は,それを作り,かつ,人々の意識を変えさせることをそれを通して行うことが私の満足感につながるのだと確信している。

 

 自分でも,この感情や欲望に対してどう言語化すればいいか分からないでいる。承認欲求の一部かもしれないが,厳密にはそうでもない。美しいものを作ればよいというわけではない。あえて言うならば「歴史変更欲」とでもいうべきだろうか。

 「意識の再構成欲」でもいいかな。