Comfortableness ~アスペクトの変換~

 

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岸部露伴

 

2日連続でブログを書くのは珍しい。ブログを書こうと思う理由は大体、新しい発見をしたときにそれを忘れないように書き残しておこうと思うからである。

 

 私は今日色々、新しい発見をしたのだ。

まず一つは、「アスペクトを変化させると新たな発見ができて面白い」ということだ。

私は非常に飽き性で有名である。とにかく熱しやすくて冷めやすい。よく言えば好奇心が旺盛であるが、興味を抱いたことが新鮮味のないものになれば途端に興味をなくす。

就活の際に他己分析ではあらやしきの特徴として好奇心旺盛・行動力がすごいということが挙げられていたし、自分でもそう思っていた。自分の行動の動機は、前回の記事の話とつながるが、わくわく☆彡なのだ。ところが、最近そんなわくわくを感じる機会が少なかった。これは、外出自粛によって新奇の刺激に出会えないことが主因であろう。

 

しかし今日、重い課題を一つ終わらせたことで精神的な重荷がなくなったせいか、普段見ないようなところを見て、新たな発見をしたり、思考を巡らしたりした。

 

楽しかった!

 

「なぜあのマンションは、他のマンションのようなきれいな直方体の形ではなく、段々状になっているのだろう?立地が山だから?立地が山だとどうして段々状になるのだ?」

「歩いている人はどんな服装をしているのだろう?」

「なぜこの建物はこのような形になっているのだ?あ!陽光が部屋に綺麗に入ってくるようにとか、洗濯物がよく乾くようにあんなヘンテコな形になっているのだな!」

 

いつも見慣れていたはずの景色が、実はわくわくに満ち溢れていた。

前回のお話ともつながるが、世界の狭かった私が、色々な体験をするにつれて自分の知らないことは概ねなくなってきているのではないかと思うようになっていた。

 

しかし、まだまだ知らないことは沢山ある。それは、見方=アスペクトを変換させることで発見できるのだ!

 

アスペクトの変換。これは今まで自分になかった考え方だ。大学の講義や就活のグループディスカッションで、自分の考え方以外の見方で物事を見れるということを学べたからかもしれない。

あるいは、昨日、自分の人生を振り返った時、自分にも黄金の精神が宿るきっかけになった人たちや環境があることを認識したからかもしれない。

 

今のこのワクワクの感覚は、昔自分が書き残した「幸福の定義」と関連しているかもしれないと思って、過去の記事を漁ってみた。その記事によると自分にとって、幸福とはComfortablenessという言葉で定義されるらしい。

 

Comfortablenessとは,知性とユーモアに溢れた,ダイナミックな環境に自ら働きかけることのできる状態を指す。
これを実現させるには,意志と,意志を喚起させる環境の整備が不可欠であることを強く認識し,また実行しなければならない。

 

なるほど。

知性とユーモアに溢れた動的な環境。

そしてそれに参加できる主体性を持っている状態。

そうかもしれない。

 

意志と、意志を喚起させる環境の整備か。

ここでの意志とは、前回の記事と関連させるとすると、

「~しなければならない」という義務感と

「~をしたい、~になりたい」という自己実現的な欲求のことだろうか。

 

そして意志を喚起させる環境の整備。アップデートした自分の概念で言い換えると、「種」だろうか。いや、種と少し違うかもしれない。

種は、植えてから花が咲くまで時間がかかる概念だ。

 

ん~~~~

 

もう環境でいいか。(笑)

 

Comfortablenessとは,知性とユーモアに溢れた,ダイナミックな環境に自ら働きかけることのできる状態を指す。
これを実現させるには,意志と,意志を喚起させる環境の整備が不可欠であることを強く認識し,また実行しなければならない。

 

我ながら、よくできた自分の中の幸福の定義だ。