20年後の君へ

私は今日、(表記が正しいかはわからないが)事実上の恋人に振られた。

前提として、私は彼女のことを心から(特に重視する外見において)魅力的だと思ったことは、負け惜しみのつもりではなく、一度もない。 それは嘘で、かわいいと思ったことは何回もある。ただ、元カノほど強烈に思ったことないのは確かだ。

 

ただ、私は彼女の人柄、人間としてのすばらしさに惹かれていた。

結論から言うと、私は彼女との交際によって、一人の人間からは想像できないほどの密度の濃い体験・教訓を得た。

人間は、記憶を忘れ、そして都合の良いように上書きする。

時間がたつにつれ、彼女に対する評価が変わるかもしれないが、今、破局後に痛感している体験・教訓について詳述することで、正しくない解釈を未来のわたしにもたらすことを防ぐとともに、人生のかけがえのない教訓・体験をできる限りここに記すことで自分の人間的な成長に寄与されるようにここに記す。

(なお、ストロングゼロを飲んでいるため、記述が曖昧なところがあるかもしれない)

 

彼女との交際によって得た教訓①:面白くあれ

 問題は、私が陰キャラであることだ。彼女は私に明言はしなかった(正確には、相性が合わなかったとひょうげんした)が、私は間違いなく、「「一般的な」」面白さは持ち合わせていない。

 いや、さらに言えば、大阪的な?フラットなノリとツッコミという点において、卓越した能力を持っていないということだ。

 彼女は私と気が合わないといった(価値観はあっているといった)が、やはり一番の点はここであろう。

 私は、例えばジャルジャルのような、陰キャラの、しかも特定の層にしか受けない笑いしかできない。別にそれが悪いことだとは言っていない。実際それによって、ある層から一定の評価は受けていることは事実だ。

 

 だが、それは私が望むべき事実ではない。私は、より多くの人にうけてもらえるような笑いのセンスや実力を磨くべきなのだ

 今、大阪に住んでいるがその地の利を生かしていない。あるいは、そのような笑いのセンスを持ち合わせている人間との交流がない。これが現状分析であり、課題である。

 

 自分にとって理想的な人生を歩むため、あるいは、交流する人間を楽しませるためには、上述の「お笑い像」を獲得せねばならぬ。それはまごうことなき事実である。

 

彼女との交際によって得た教訓②:寛容であれ

 お前は覚えているか?私が「あなたは頑固で、わがままです」と言われたことを。

 

お前はこのような言葉を言われたことに喜ぶべきだ。なぜなら、頑固でわがままな人間は、周囲にとって触れてはならない爆弾のようなものであるので、当の本人に直接その旨を伝えることはないからだ。

 

 だから、お前は彼女に感謝すべきだ。こんなはっきりとしたアドバイスは、数年間ならばわかるが、たった半年くらいしか過ごしていない人間からされるなんて、なんてコスパがいいのだろう。(いま、人間関係においてコスパなんて概念が出てきたことに自己嫌悪を覚えた、ということだけは記しておく)

 

 私は頑固だ。それがどういう場面で頑固なのかもわからないくらいに。

どうすればいいのだ。わからん。そもそも頑固であることはダメなのか?

いや、良くないことは間違いない。社会性という観点からはな。最もよいのは、社会性という点でも自分の理想の実現という点でも、条件を満たした形での社会性だ。

(多分伝わらん)

 

彼女との交際によって得た教訓③:他人を信じるということ

 私は、彼女の愛情?というか人間の尊厳?いや、もっとも低いレベルで彼女を侮辱した。行為に臨む際、私は彼女のピュアっぷりに驚愕し、彼女が一人でそういう行為に臨んでいないことに驚愕した。しかし、そこで、一つの疑問が生じた。「この子は心の底から、そういうことをしたくないのに、そういうことをしたいとするのは嘘ではないのか?」

 

 私は、今まで何かしら溜まっていたうっ憤?というか疑問というか、彼女のためと思って(と言いつつ、自分のためだったのだが)彼女にそのことを質問した。

 

 だが、それがいけなかった

 

 他者のために自己を犠牲にする精神について、その「他者」から妥当性を問われたのだ。そんな、自分を信じたことを当の本人によって馬鹿にされたのだ。たまったものではないだろう。女性にとって一番大切なものを。

 

 私はとても愚かなことをした。ほんtっとうに愚かなことをした。

本当に。その当時、一番尊い存在だった人を蔑ろにしたのだ。

 

 本当に悪いことをした。だが、この反省の思いを彼女に伝えたところで全てが帳消しになるわけではない。彼女にとって一番良いのは、(いや、)とりあえず今のままで過ごそう。自分の考えは他人に相談しよう。

 

 

 とはいえ、この後色々なゆうじんや先輩にこのことを話したが、お前は悪くないという返答もいただいた。相手をおもんぱかったり心配するような言動は、とりあえずは肯定してよいだろう。

彼女との交際によって得た教訓④:意見は複数の人に聞け

 意見は複数の人に聞きなさい。今回、わざと喧嘩を作ろうとしたのは、ある友人のきっかけであることは間違いない。その友人はある1意見として提言したのだろうが、それはそれとして、私は複数の人間からアドバイスを総合して考えるべきだった。

 

 ある一つの意見が妥当であるかどうかは、縦の論理だけではなく横の論理も必要だ。なぜならば、縦の論理には概して確率の概念が無視されているからだ。(感覚的には50%超えていれば縦の論理として成立しうる)

 

 だから、より行動・意見の妥当性を考慮するためには、複数人(3人以上)の意見を聞く必要がある。それも、多様性を考慮すべきだ

 

彼女との交際によって得た教訓⑤:いろんな人と親友になれ

 教訓④と通底するが、やはり友人というのは間違いなく大切だ。

今回、彼女の失恋で、私を支えてくれたNくんがいたが、彼に代表されるように友人は必要だ。ひつようだ・・・・。

 

 

彼女との交際によって得た教訓★:戦略的になりすぎない

 これは、別の友人から言われたことでもあるが、自分の戦略的な側面が交友関係においてはよくないということがある。

 

 もちろん、相手が気持ち良くなるように考えて行動することはよいことだ。だが、私は、基本的に一歩引いて他人と接する。友人曰く、その人と話しているのに、その人と話していないかのように振る舞うらしいのだ。確かに、言われてみると、他者の一つの言動に対して、コミュニケーションのやり取りというか、観察をしているという感じで振る舞う気がする。

 

 そういう風に、他者の心を察せられる能力は非常によいとは思う。だが、大切なことは、相手を侮辱しないようにすることだ。また、自分自身がそういう風に戦略的であることをむやみに開示する必要はないということだ。自分がいつもそうやって開示するときは、自分の能力の高さを誇示したいときだといっても過言ではない。

 

 自分の戦略性の高さは、ある場面では良く働く。しかし、時と場合によってそれがうまく活用されないこともある。例えば、今回のようなものだ。

彼女との交際によって得た教訓⑤:裏表をなくす

 先ほどの「戦略的になりすぎない」というのと通底するが、要はこういうことだと思う。私は、家庭が壮絶だったり、自分のオタク的趣味を他者から否定されたりすることで嫌な思いを感じてきた。だからこそ、そういうったような自分をさらけ出すことが無意識に拒否されている。

 

 これが自分が戦略的である理由だ。だが、「蓼食う虫も好き好き」とあるように、あるいはひろゆきも「誰かからは絶対に嫌われる」と言われるように、誰かから絶対に嫌われるのは間違いない。

 

 自分は完璧からは逃れたと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。

 

 もっとゆずらぬ頑固さというか、自分のありのままを出すことが必要なのかもしれない。

番外編①:人といるとき、人を認識する

 これはもう解決しようがないのかもしれないが、人といるときに人といるという認識がめちゃくちゃ薄いのだ私は。モノがそこにいるかのように振る舞ってしまう。

 

 難しけど、でも、これは大切なことだと思う。その目の前にいる人間が、自分と同じように笑い、悲しみ、怒れる存在だということを認識すると、きっといろんな問題を回避できる。

 

とはいえ、戦略的で課題認識したら突っ走る自分に助けられてる

 俺はこういうところが好きだ。とても。

友人も先輩も、そこは肯定してくれてる。

 

だって、自分のためだけにとはいいながら、やっぱり相手のことを思ってるんだから、それはいいじゃん!

 

 ようはパランスを取ろうって話。バランスねえ。振り子みたいに、最終的には安定するのかな?次また失敗するかもやけど、それも前に進むためには必要なんよ(しょうらいの自分に対する布石)