私には3つの面がある。それは、とても矛盾しているように思えるが、やはり3面性の持ち主なのだ。
一つは、他者を思いやれる優しい心
一つは、世界への探究心,好奇心
一つは、お金や権力や勝利、称賛に対する執着心
だから、一つの面あるいは二つの面しか私を見たことのない人間は、残りの面の私を知らない。ということになる。
このことに気づいたのは、小学校から高校までの卒業アルバムを見返していて、周りからの評価や当時の自分の考えを再確認したからだ。
とくに、自分でも気づいてないくらい、「周りから優しい人間だ」と言われていた。
また、遊びなどを中心に遊びの企画を立てたりしていた(今も割とそう)
それでいて、「将来どうなってると思う?」という質問の回答には「めちゃめちゃ稼いでると思う」とか、「もし〇〇だったらどうする?」という質問を自分で作って回答するというテーマでは「もしあと命が3日だったら、上空から金をばらまく」というような、世界や人間に対する興味関心が小さい頃からあったようだ。
今、とある出来事よりナーバスな気持ちになって、自分はこれからどうしたらいいのだろう、何を軸に生きていけばいいのだろう、とぼーっと悩んでいたが、今までの自分を振り返ることで、なんだか自分が面白い人間で、すごい人間で、それでもなんだかよくわからない人間だということが分かった(笑)
「頑張ったことand将来の夢」というコーナーでは、
頑張ったこととして、持久走の順位を、毎日学校の周りを走ることで上げたというエピソードを挙げたり、また、将来の夢では、車に轢かれた猫をかわいそうに思い獣医師になろうと思ったという風なことを書いていた。
しかし、以上の体験は全て嘘である。学校の周りを走った覚えはないし、車に轢かれた猫を目撃したわけでもない。しかし、持久走の順位が上がったり、獣医になろうと思ったことは本当である。
このように、どうやら私は「結果」や「称賛」ありきで物語を語る傾向にあるらしい。また、そういうことができるらしい。しかも、小学生という幼い頃から。これは大発見だ。何故なら、こうした性質は、神条紫杏に憧れて、神条紫杏になりきっていた高校生以降のものだと思っていたからだ。
しかし、どうやら私はそうした神条紫杏的な気質を幼い頃から同じくして有していたらしい。
・・・
なんだか、自分という存在の正体がだんだんと見えてきた感じがする。そして、本当に自分を好きになっていっている気がする。「一貫性」が大切であり、優しさと冷酷さが同時に存在するはずがないと考えていたが、どうやら私自身がそのような存在らしい。
優しさと好奇心と上昇志向。
自分の幸福の輪郭が見えてきた!