【ぼっち】自分よりも優秀な人が沢山いるなかで自信を保つ方法【コミュ障陰キャ】

 

コミュ力皆無なせいで壊れそうになった話

 どうも、あらやしきです。突然ですが、あなたはコミュ力がないせいで精神が崩壊したことがありますか? 

 

 

ない?コミュ力強者の陽キャはブラウザバックしてインスタグラムで飲酒タストーリーあげて、友達や異性と楽しくやってください。こんな記事を見るだけ時間の無駄やから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

あ、ある方はどうも、同類ですね。これから僕のする話に多かれ少なかれ共感してくれると思います。マジでコミュ力ないの辛すぎワロタんごw!!

 

 

高校生の卒業アルバムの白紙に誰もメッセージを書いてくれなかった

 あの、これから僕のコミュ障陰キャエピソードをげんせんして書いていくんですが、自分としてはやはり心がイタイイタイです。(知るか)

 

 

あの、卒業アルバムの最後らへんの白紙のページに、みんなが最期のお別れの挨拶的な感じで、「楽しかったよ!ありがとう!」的なことをみんなでわいわい書くイベントがあるじゃない?

 

 

僕、中学校のころは高校のころと比べて「「比較的」」コミュ障陰キャではなかったので、中学の卒業アルバムにはそこそこ書いてくれたマイフレンズがいたのですが、、、、、、、、、、、

 

 

高校の頃のページは誰も書いてくれませんでしたww!!ワラ

 

でもね、その当時はまさかそんなことが起こるとは思わなかったのよね。何故ならば、僕は良かれ悪かれ、学年全体に影響を及ぼしていたり、名が知れていた存在だったから。。。。

 

 

でも、卒業のときにきっとみんなの本心、というか、本当の友情関係が浮き出てきたのだろうね。

 

 

というわけで、周りがわちゃわちゃ記念撮影やらおしゃべりやらするなか、寂しく帰宅しましたとさ。

 

 

 まぁ、本当に恐ろしいのは、そのことを全く問題だと認識せずに、いやしていたのかもしれないが、自分の中であいつらはカス同然だと決めつけることで、その時の自分の状況を正当化していたということ

 

 

 ここに、ぼっちのぼっちたる真の理由が現れてると思うのですよ。

ぼっちって、自分がぼっちであることを正当化したがるんですよね。

 

 

自分が周囲と関わらないのは、自分が孤独を愛するパーソナリティだから(かっけーw)と思い込んだり、あるいは、周りのレベルが低いから自分と周りの人間は会わないんだと決めつけたり。

 

 

これって、、本当によくないんですよ。ぼっちがぼっちたる所以って、簡潔に言えば、社会性がないから。この一言に尽きるんですよ。能力がないんですよ。生物的に劣っちゃってるんですよ!!!!!!!自覚しろよ画面の前の陰キャコミュ障!!!

 

 

まぁ、実は関係性を築けているようで、本当の友人関係は築けていなかった、質の悪いコミュ障だということは、このことでお分かりいただけたかと存じます。

 

 

コミュ力抜群の人たちに囲まれ、自信喪失をする

 大学生になり、周りに多大なる迷惑をかけながらも、自分がいかにコミュ障であるかを客観視できるように少しはなった。

 

 

 コミュ力の大切さを痛感した私は、コミュ力をつけなければこの先、社会人として生きていけない死ぬということを理解したので、社会性の要求されるバイトをすることに決めた。

 

 

 そう、そのバイトとはアパレル、つまり販売業である。

 

 

販売とは、文系大学生が社会人になって真っ先に経験するようなお仕事の一つであろう。

 

文系の私は、今この大学生の時期に社会性を身につけないと、大人になって精神的にも死んじゃうことを理解していたので、アパレルのバイトをすることにした。

 

 

実をいうと、私にアパレルの仕事はどうやら向いているらしかった。

 まだまだできないことだらけだが、それなりに商品を売ることもできるし、何より仕事がたのしいいいいいい!

 

 

「あれ、俺、もしかして社会性あるんじゃね・・・???」

 

 

しかし、そう思ったのもつかの間。

 

 

本当の社会性とは、お客様とスタッフ間の一時的な関係を築くことに限らない。

 

 

そう、私が直面した問題は、社員さんや他のアルバイトの方とのコミュニケーションができなさすぎワロタ問題である。

 

 

まず、会話が続かない。相手の言ったことに対して、ユーモアの効いた返しができないばかりではなく、これは最近ようやく自覚したことだが、そもそも相槌すら打てていない。

 

 

あまりにも関心がなさすぎて、意図的に話を聞こうとしないと、もはや馬の耳に念仏状態なのである。

 

 

私は今まで不思議に思っていた

 

 

「コミュニケーションはきちんとできている、相手の話に興味がなくても相槌も打ててるし、気の利いた返しもできてる!なのに、他人はどうしてそっけない態度をとったり、自分はぼっちになったりするのだろう???(笑)」

 

 

 

答えは簡単である。

 

 

全て自分の都合の良いように人生を解釈して生きてきたから

 

 

他人に無視されても、自分が会話に参加できていなくても、それがそうなるべき状況だったから、そうなるような理由が、自分の性格以外にあるからだと決めつけていたから

 

 

だから、自分のコミュ力のなさにも今まで気づくことなくのうのうと幸せに生きてきたのだ。(自分で書いててすごく悲しい)

 

というわけで、アパレルのバイトの話に戻るが、バイト先の人たちはさすが販売業の社員というだけあって、コミュニケーションが何たるかということを自分よりも把握できている。

 

 

私の自信は崩壊した

 

 

バイトを始める前からコミュ力のなさには泣いていたが、本当にコミュ力がないという事実をありありと見せつけられて、私の自己肯定感は完全に消え去った。

 

 

 

「コミュ障だということに気づかず、相手の気持ちを察することなく雄弁に(?)喋ることができていた昔の自分のほうがまだましだったのではないk?」

 

 

こう思うようにもなった。

 

それでも人はイキネバナラナイ。

 

ASDの特徴として、過度の自己愛、ポジティブな考え方をするということが挙げられる。

 

(ASDではないが)私もその例にもれない。先ほどのネガティブな考え方を変えなければ、そして行動しなければ、たくましくイキネバどうしようもないと思い、

 

 

「比較的若い時期にこんなことに気づけてよかった!今から努力して改善していけばなおるっしょ!!!!!(^^♪」

 

という風に無理やりポジティブに考えるようにした。

 

 

と、いうわけで前置きは長くなったが。

 

自分よりも優秀な人が沢山いるなかで自信を保つ方法

 

 今回の記事では、ぼっち・陰キャ・コミュ障ということに焦点をあてて書いたが、もう少し一般性を持たせた教訓をここに残しておきたい。

 

私の場合、コミュ力バツグンにある社員さんが自分の近くにいることで自己肯定感はどん底に落ちたのだが、いつまでも自信がなければ何も行動はできない。

 

何も行動できないだけでなく、「私ってこんなにダメだから。。。」と周りに愚痴ってばっかだと、嫌な奴、楽しくないやつだと思われてますます人は遠ざかる。

 

したがって、自己肯定感は「ある程度」回復させねばならない。

 

では、どうすればいいか?概ね2つあると思われる。

 

①成功体験を積み重ねていく

 そう、成功体験を積み重ねていくのだ!!成功体験と言っても、めちゃめちゃ大きなことをやれというわけではない。

 

 自分の好きなこと、得意なこと、やっていて楽しいと思うことを積極的に行い、

「自分って、これこれこういうことが『できる』んだ!」

と思うことで、自分の中の自己イメージがポジティブに変容していきます。

 

 

ほんっとうにささいなことでもいいんです。

午前中にうちに起きれたぁー!!とかでもいいんです!

ご飯たべれた!!!!とかでもいいんです!!!!!!!!!!!!!

こどもべやおじさんでも、「きょうはおそとにでれた!!!!!!!(^^)!」とかで喜んじゃって、自分で自分をほめていいんですよ!(こどおじにとってそれは大きな成功体験かもしれんけど。。。

 

僕の場合、他の人と比べて唯一「得意かもしれない」と思えるのは学校のお勉強くらいです。他人より記憶力がよかったり、秩序付けて考えられるかなと思います。

 

なので、定期的にお勉強して、「わぁ、今日はこんなにお勉強できた!こんなに新しいことを学んだ!えらい!」と思って、自己肯定感を保っています。

 

 

ほかにも、筋トレをしたり、運動をするとポジティブになれるそうです。生理心理学的に。

 

②過度な自己イメージを抱いちゃう人間の性質を理解する

 

人間は、よくもわるくも一般化したり抽象的な思考ができる生物です。

学生の頃、部活でなにかの大会でよい成績を収めたり、あるいは、模試でよい成績をとったりすると、

なんだか自分は何でもできちゃうような、すごい人間であるかのように思っちゃったことありませんか?

 

残念ながら、それは大体間違った自己イメージなんですね。

少し学問的な話になりますが、自己報告式のパーソナリティ診断テストと、他人からの評価は中程度の相関しか見られないという研究結果があります。

 

つまり、自分の考える自分と、他人の考える自分というのはそこまで一致してないってことなんですね

 

自信をもつことはよいことですが、なんだかよくわからない自信をもって、あほをやらかすのはよくないですよね。

 

巷では、根拠のない自信を持てという言説が持て囃されていますが、私は概ね否定しています。

 

根拠のない自信というのは、「(本当は〇〇できないけど)〇〇することができる!」という信念ですが、〇〇できないのに〇〇してへまやらかすのはよくないでしょ。

 

失敗して、そこからまた何かを学べたらええんやけども。

 

あ、僕は20年間、コミュニケーションで失敗し続けたけど、何の反省もしませんでした。wwww(笑えない)

 

というわけで、自分の自己イメージはだいたい現実じゃないよね~、だから自信をもちすぎるのも危険だし、逆に自信がなさすぎるのもそれはどうなんだろうという話でした。

 

人生悟るにゃ、まだ早い

 とはいえ、こんな感じで偉そうに人間について語る僕も、まだまだです。

自信をもつことは大切だし、「自分は〇〇ができるはずだ!」という信念をもつことも成功には不可欠です。

 

しかし、いつどんなときでも、自分に反省の目を向けなければなりません。

 

僕は今までコミュ障陰キャだったので、誰かに頼るということをしてきませんでした。

だから、あんなに肥大した自己観を抱いてしまったのかもしれません。

 

「我以外皆わが師」と言いますが、コミュ障陰キャはこの言葉を常にkeep in mindしましょうね。

 

参考リンク

 

頭はいいのだけど社会性のない残念な人(=厨房)についての考察 - Togetter

 

 

最期に、癒しの写真を残しておきます。それでは。

 

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表情を作るのが大変だった鞘師里保