最強とは何だろうか?
日常的に「〇〇ってマジで最強だわ~」「あの人最強だよね」なんていう風に、
最強という言葉はよく使われる。
最強、最も強い。強いというのは、身体的な強さ(喧嘩が強い)という意味では概してなく、何かのカテゴリーの中で順位付けをした場合にトップになるほどの性質を持っているということだ。
最強という言葉の類義語として、完璧がある。
完璧も最強と同様、すべての物事において最も優れているというような意味を持つ。
しかし、ここで注意すべき点、ふとすると忘れてしまうことがある。
それは、「最強」「完璧」は主観的なものだということだ。
あくまで、その人個人から見たときに、他のものより絶対的に優れていると思うのが「完璧」なのだ
ここで、「いやいや、客観的に見たときに最も優れているものを完璧というのだ」という反論が返ってくるに違いない。
そう、日常的に完璧と使われるときは、その人は
「私から見て、どんな人からもあるいはどんなものよりも優れていると思う」
と実際は考えているのだ。
なんか日本語おかしい気がするけど、まあ少しずつ修正していく。
とまれ、完璧や最強という言葉は主観にすぎない。
1つ視点を変えてみれば、最も美人だといわれる人でもぶさいくという烙印が押されることもある。
さて、これを踏まえて本題に入りたい。
本題は「最強とは何か?」である。
勿論、私から考えたときの最強である。他の人からすれば、最強ではないこともある。
この最強は、私の中の理想像といっても差し支えない。
ということで、最強の要素について考えてみる。ただし、ここでいう最強は、人間像を対象に考える。
最強の人間:内面
まずは内面から最強の定義をしよう。内面というと、人格者であるとかコミュ力がめちゃくちゃあるとか、優しいとか、自分に対してストイックとかいろいろあると思う。
私にとっては、第一にGRITが最強の要素の一つであると思う。
ジョジョの奇妙な冒険のジョナサンジョースターはじめ、漫画の世界ではあきらめずに取り組み続ける、不屈の精神を持つものが最終的に勝負に勝つ。
これは現実世界でも同じだと思う。
どんな強大な敵が表れても、自分自身の不屈の精神という力を持って絶対に倒す。
諦めなければ試合は終了しないのだ。
次に、最強の要素として考えられるのは、他人の心が分かるというものだ。
人間は絶対に集団生活をする必要がある。そこで、自閉症のように相手を察する能力がなければ、絶対に生きていくことはできない。相手が何を考えているかが分かれば、それに対して何をすべきかを考えることができる。
もちろん、相手が何を考えているかわかっても、それに対する適切な反応ができない場合がある。しかし、やはり絶対条件として、相手の心が理解できることが最強の要素の一つだと思う。
次に、最強の要素として考えられるのは、頭の良さだ。
頭の良さといっても一概には言えないが、一口にあえていうとすると、
点と点を結ぶ力が頭の良さだと思う。相手が何を言っているのかを理解するには、この点と点を結ぶ力が大切だ。人間の行動のみならず、世界は連続的に、相関して機能している。点と点は法則的に動いているので、その連関を知悉すれば、どうすればいいかが演繹的に理解できる。
最後には、カリスマである。
上記の能力をすべてもっていても、カリスマ性がなければ宝の持ち腐れである。
人間の歴史を見ても分かるように、カリスマ性を持った人間が一番強い。
ヒトラー、総理大臣、ガンジー、スターリン、習近平、ホリエモンなど力を持つものは皆、カリスマ性を持っている。
では、カリスマ性とは何だろうか?一言でいえば、魅力である。
魅力とは、人の注意を引き付けるだけでなく、その人に何かしらの動機を与えたり、好意的な反応を引き起こすことができる性質である。
一口に、性格ということはできず、外面的な魅力からカリスマが構成されることもある。
畢竟するに、このカリスマ性があれば人間は何でもできる。
最強の人間:外面
まず一口にいうと、体力だ。
外見の美しさは正直、2である。
老いがこないのが最強。以上。