私は物心がついたときから、創作物における悪役に惹かれていた。
ポケモン・エメラルドではマグマ団やアクア団のボスに、イナズマイレブンではラスボスであるゼウス・ジェネシス(のグラン)に惹かれた。
他にも、ダークヒーローにもたびたび憧れた。パワポケ10の神条柴杏を代表に、コードギアスのルルーシュにも憧れすぎて、一時期は彼らが自分自身だと考えながら生活していた時がある。
また、ジョジョの奇妙な冒険では、カーズとディアボロを除く全てのラスボスが大好きだ。
もちろん、それらの物語の主人公たちもかっこいい、魅力的だなと思う時はある。しかし、不思議なことに彼らになれるように目指したことはないし、なりたいと思ったこともない。なりたいと思うようなキャラクターは総じて悪役だ。
悪役といえども、下っ端の雑魚には全く憧れることはない。
主人公にとっての敵組織のトップにいるような奴らでなければ、憧れの
対象にはならない。とはいえ、トップでなくとも主人公たち(正義サイド)より強い力を持っていれば、羨望の対象になる。イナイレだと、ジェネシスではなくバーンやガゼルに憧れたことがある。
また、かつては敵だった悪役が主人公たちの味方になる展開は、嫌いではないが、そうなればかつての悪役に魅力を感じなくなる。これは、「悪」でもなくなるし、彼らが対峙する敵は大体かつての悪役よりも強くなるため「最強」ではなくなるからだ。
つまり、正確には
『正義サイドの対岸にある悪』×『正義サイドよりも強い』×『組織のリーダー』
という3つの要素がかけあわさってようやく羨望の対象となる。
しかし、なぜこれほどまでに悪役に惹かれるのだろうか?
自分なりに考えてみた結果、次のような答えが出た。
『悪』に惹かれるのは自分が悪役だから
私が悪役に惹かれるのは、「悪役の自己認識」ゆえである。
私は正義サイドにはいない。私の居場所は悪役サイドにある。
そして、悪役でありながらも組織におけるトップであり続けた経験がある。
だから、私は悪役なのだ。悪役の中でも、私が理想に掲げる3要素、
『正義サイドの対岸にある悪』×『正義サイドよりも強い』×『組織のリーダー』
を満たすことができる存在なのだ。創作の中だけの存在ではない、実現可能性の高い存在だと経験的に感じている。
だから、自分は悪役だという自己認識がある。ということに、前回の記事にもあるように自己認識をするうえで気づいた。
とはいえ、ただの悪役ではなく正義なる悪役になりたい
「(ねえ、博士。正義や悪ってなんなんでしょう?レッドが悪いやつだと思うから野球で勝負して追い出したんです。でも、たしかにあいつのおかげでチームは強くなったし甲子園にも行けるようになった。俺のやったことは正義なのか、それとも悪なんでしょうか。)
ああ、そりゃあ簡単なことじゃ。『正義』の反対はなんじゃな?(悪じゃないんですか?)
悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。『正義』の反対は、別の『正義』あるいは『慈悲・寛容』なんじゃよ。(え?)
正義とは、人の従わねばならん道理を言う。『正義を行う』となれば道理を守らせる、ということにもなる。
(それはいいことなんですか?)
もちろん、必要なことじゃよ。問題は道理が一つでないことじゃ。『殺すな、奪うな』までは、ほとんどの思想で共通じゃがな、その先はバラバラじゃ。『男女は平等』かもしれんし、『女性は守るべきもの』かもしれん。『どんな命令でも忠実』が正義なら『悪い命令に逆らう』のもまた正義。
(じゃあ、何が正しいんです?)
みんな正しいんじゃよ。道理に関する限り、正しい事は一つと限らないんじゃ。
(でも、それじゃ困りますよ。なにが正しいのかわからない!)
だから、法がある。なにをしてはいかんかの約束じゃ。…これも正しいとは限らんがね。じゃから、結局のところはその時ごとになにが正しいのかよく考える必要があるじゃろうな。結局のところ、みんなにとって最も良いことを探して選択するのが『善』なんじゃろう。じゃから、正義は善とは限らん。ともすれば自分の信じる道理を他人に押し付けることになるからな。
(…よくわかりません。)
じゃあ、最初の質問に戻ろう。やらなきゃならんと思ったから、やったんじゃろ?本当にそれが正しかったのか最善のやり方だったのか、ときどき反省してみるんじゃな。いずれ、自分で納得できる時がくる。
(はぁ。じゃあ悪ってなんなんです?)
一般的な定義から言うと、世の中のルールを破って、他に迷惑をかける行為じゃな。
(でも、博士は『悪』なんですよね?どうしてわざわざそんなものをやってるんですか?)
わははは、一般的と言ったじゃろ?ワシにとって悪はロマンなんじゃよ!ロマン。分かるか?ルールに囚われないことじゃ!希望、生命力、突破点、新しいもの。幸せになりたいという欲望!昔は、科学も自由も人権も平等も、みーんな『世の中の平和をみだす悪』だったんじゃよ。
(まさか!)
なあに、ちょこっと歴史の本を読めばわかることじゃ。それじゃあな、少年!若いうちは悩んでおけよ!わははははははは!」クロノ博士
パワポケのサクセスにおける、有名なやり取りの一つである。
クロノ博士のこの正義に関する考え方が私がとても好きだ。
悪というのは、その時代・その場所などの限定的な枠組みの中でしか存在しない。江戸時代の頃には悪とされていたことも、今では善だと考えられていることもある。
悪というのは、「ルールに囚われないこと」である。
「希望」、「生命力」、「突破点」、「新しいもの」、そして「幸せになりたいという欲望」。
たとえその瞬間瞬間で、自分自身が否定されようともいつのひか私が善になるときがくるかもしれない。そうならなくても、正義は色濃くなるだろう。
正義なる悪役になりたい。
自分が「これだ!」と思うものに正直になり、自分にウソをつかずに生きていく。
それが正義なる悪役だ。
・・・浪人していた時に考えていた虚無的世界観が、ここまで成長するとは思わなかった。これからもきっと、今持っている考え方はアップデートされていくのだろう。
悪役ではあるが、私は私の物語の主人公だ!