前回の記事で、筒井澪心を見て羨ましいと感じた理由が、めちゃくちゃ自己表現して楽しんでいて、なおかつ、多数の歓声を浴びているところだと感じた。それが自己表現できているから羨ましいと書いた。
それでは、それは承認欲求とは異なるのだろうか?
私の今までの行動を振り返ると、「目立ちたいだけ」とも言えるような行動がちらほらあった。
そこに、誰かを支配、征服したいというような動機はあまりなかったように思える。
インスタのストーリーや、高校生の頃のプレゼンなどもそうだ。自身のセンスやスキルに対して、たくさんいいねをもらいたかった。
それは自己表現の欲求か?それとも承認欲求か?
承認欲求だと思う。私は1人でいるときと、人に見せるときとでは思考回路が違う。もっと受けるようにって思ってる、何かしらの料理をする。それは相手を楽しませたいというよりかは、自分を承認してほしいという感覚に近い。
だから、他者承認なのだろう。
それはいいとして、
・どのような状態を承認してほしいか?
・誰に承認されたいか?
・何について承認されたいか?
・そもそもこれは、健全な欲求か?神経症的劣等感ではないか?優越感を感じていないか?
これらについてまだ深められていない。
ほかの権力欲や、自己表現の欲求についても深ぼっていきたい。