最近また暑くなってきましたよね。 今年の夏は冷夏と言われるくらい涼しくて、穏やかに夏を過ごし終えられそうに思っていましたが!つってね。
今年の夏は色々あったなぁ、まだ終わってへんけど、とにかく色々ありました。
この記事を書いて以来、自分の情けなさや醜さに少しは気づくことができたのか、物事に謙虚に取り組むようになったことが一番大きいかもしれません。
いやほんと、なんだろう自分を客観視できていないことに気づけたって凄く大きなことだと思うのですにょね。よね
自分はまだまだ至らない部分があるのはそうなんですが、周りの人たちは自分のことを客観視できているかどうか見てみたら、案外できていないんですよね。
特にそう思うのは、今までよくつるんできた友達で、まぁ当然っちゃ当然だけど、
ほとんど社会性がないような友達(だからこそ仲良くできた)
社会性がないっていうのは、具体的に言うと
・相手の話を聞くことができない
・相手の気持ちを察しながら会話することができない
・なんとなく上から目線
・譲歩できない
・プライドが高すぎてコミュニケーションが色々と面倒くさい
・笑顔がない
ざっと言うとこんな感じかもしれません。
もちろん、今夏までの私はこれらの特徴に全てあてはまったモンスターだったでした。
関わってきたひと本当にすみません。マジで。。。。。
社会性は訓練を経て習得することができるか?
ところで、こうした「社会性」は後天的に学習することができるのでしょうか>
社会性の第一条件として、共感能力があるかどうかが挙げられると思います。
この共感能力を先天的に身につけられないひとは、サイコパスや、あるいはアスペルガー、広義だと自己愛性パーソナリティ症候群、反社会パーソナリティ障害を持つ人たちを含むと思われますが、彼らは訓練によって共感能力を身につけられるのでしょうか?
興味深い研究の一つにこういうものがあります。
フローニンゲン大学メディカルセンターらの研究(1)では、社会的に何らかの違反をしたサイコパス18人と、普通の26人を集めて共感脳の違いを実験しました。
彼らは、実験としてビデオを見せられ、その間中、脳の状態をfMRIで調べられました。
ビデオでは、2つの人間の手が様々な感情を表現するというものです。例えば、
- 近よってくる相手の手を払いのけて拒絶を表現
- 手をふれあい愛を表現
という内容。
映像に映っていたのは、手と腕だけ。
さて、ビデオを見たサイコパスの共感の程は、想像通りの結果となりました。
つまり、サイコパスはビデオに共感しなかったということ。手で愛が表現されても、「何やってるの」と、彼らの気持ちが分からなかったのです。
しかし、ここからが実験の面白いところです。最初の実験とは違い、今度は実験者がサイコパスに向かって「演じている人の気持ちになってみて」と指示を出して、再びビデオを見せました。
すると、サイコパスの脳は、普通の人と同じくらい活性化していたのです。
この結果が示すのは、サイコパスも共感ができるということ。
サイコパスも相手の気持ちを考えようとさえすれば、他の人と同様に人の気持ちを理解できるのです。
・・・・・・・・・・・・・
共感能力がないとされるサイコパスでさえ、その気になれば共感能力を働かせることができるというのはとても興味深いですよね。
これが本当ならば、どんな人にでも共感能力、つまり社会性を身につける方法がありそうに思えますよね
マジで社会性を身につけたい
実は私は昔から「お前ほんとサイコパスだなwww」と言われることが多かったのですが、当時、サイコパスはなんかかっこいい、周りと違う特別な存在のように思っていたので
「サイコパスって言われるの、そんなに悪くないかも。。。」
と考えて、サイコパシーな行動に拍車をかけていたように思えます。
基本的に罪悪感は感じたことないし、多分感じたとしてもすぐ忘れてしまったり、自己正当化したりするので、道徳観や倫理観はまったくなかったように思えます。
この前の京都アニメーション放火事件についても、私は可哀想だとはあまり思えませんでした。食卓の場でニュースを見て「かわいそう~」と口では言っても、パターン認識の副産物としてその同情の言葉が出てるように感じます。
むしろ、あの凶悪犯を出来る限り残酷に殺すということよりも、その人間を調べて「なぜこのような犯罪を起こすに至ったのだろうか?」ということを追求すべきだと思います。し、その解明のためには、彼はどうなっても構わないかな、と。
今少し思い出したのですが、これと似たような出来事があったときに、凶悪犯に対して「ひどい!絶対に死刑にすべきだよ」と言っていた友人に対して、
「いやいや、死刑よりも先に彼を徹底的に利用して人間の仕組みを解明するほうが全体的には得でしょ。彼はもう死刑にしてもいいんだから、どんなむごい調査をしても正当化されるんだから、殺すのはもったいない」ということを言うと
「え。。。そこまでするのはちょっと可哀想かも。」
と、ドン引かれました。
あっ、まずいこのままだと「関わらないほうがいい」人間認定されてしまうからこの辺でやめておこう。。。
MBTIのパーソナリティ診断では、よくENTJが出ます。
ENTJは、「冷酷で、目的達成のためには手段を択ばない。正論すぎて周りから疎まれるので、たまには周りを見渡そう」的なことをよく言われます。
とはいうものの、自分は常に正論を言っているわけではないので、ただ頭の悪い自己中の無能くらいに思っています。有能のみなさん仲良くしてください!
というわけで、マジで社会性を身につけたい。
販売のアルバイトや、面接を受けたり、あるいは他人とコミュニケーションをとっていたりするときに社会性ってホントに大切だから。
でも、社会性の希求を利己的動機に帰結させてしまうよねって
社会性を身につけることで、人間関係で悩まされることがなくなる
だから社会性が欲しい、簡潔に言ってしまうとこうだよねって。
もちろん、他人を喜ばせたり、笑わせたりすることが自分の喜びに繋がるから社会性が欲しいっていうのもあるんやけども。
でも、他人と比べたときに、社会性を欲しがる理由が比較的利己的だなと思う。
「できない自分を見るのは嫌だし、それで悩まされたくない」
っていうのが一番つよいかなって。
これ乗り越えなきゃ本当の社会性は手に入れられないのかしら(´;ω;`)
分からん、人間マジでわからん。
こういうこと考えるたび、心理学やりたー!って思うよね。
編入合格してマジでよかったぁ(´;ω;`)ウゥゥ
社会性の身につけ方募集します。コメントに書いてくれると幸甚に存じます