自信と明るさ

昨日、お風呂から上がるとおばあちゃんから

 

 

「うん、いい顔になった(^^)」

 

 

と唐突に言われた。

 

 

ちょうどその直前に私は、鏡の前でsnowを使わずに自撮りをして、

 

 

ありのままの自分のあまりのブサイク加減に落胆していたところだった。

 

 

 

だから、そのおばあちゃんの一言には

 

 

 

「え!? 自撮りしてたところ見てないのになんでそういうこと言うの!?エスパー!?」

 

 

 

と言うようにとても驚いた。

 

 

 

 

その日はそのまま就寝したが、今日朝ごはんを食べるときにおばあちゃんはこう言った。

 

 

「昨日の顔がよくなった、の言葉の意味はね、明るくなったってことよ。色々経験して自信がついたからなのかもね。」

 

 

 

なるほど、顔がかっこよくなったと言っていたわけではないことを知り少し残念な気持ちもしたが、腑に落ちた。

 

 

私自身、8月中は色々な物事や人に出会い、それから刺激を得てそれまでやってきた分と同じくらいの努力をしたつもりだ。

 

 

もちろん、不安や焦りを感じることもあったが、特にモーニング娘。鞘師里保を思い出すたびに、せめて外面はリラックスしているようにしようと努力していた。

 

 

祖母が言うように、「自信がついた」とは到底言えない。でも、足が地につくようになっている感じはする。自分の中の自己像は、あてにならないものだと気づき、何でも謙虚に捉えるようになった。

 

 

 

至らないところはまだまだ沢山ある。言葉遣いも、心理学の知識も不十分。

 

 

でも、そうした認識があるからこそ人は頑張れるのだと思う。

 

 

 

「傍目八目」

 

 

自分の行動の善悪は、他人の意見を聞かねばならない。

 

 

それは、良いところというより、欠点を指摘するための言葉だと私は感じていた。

 

 

でも、良いところを褒めてくれて嬉しく感じたり、そうしてくれる人をありがたく思えるようになる言葉だと、今朝の出来事で思うようになった。

 

 

 

傍目八目に関連して、今年に入って私が大切だと思うようになった言葉や概念はいくつかある。

 

 

 

感謝・努力・節制(これは自分が1番克服しなきゃいけない)、傍目八目、表現せざれば則ち悩みがある(PL処世訓)、継続は力なり、一期一会等々

 

 

こんなにも大切なことをどうして今まで気づかなかったんだとひどく後悔する。

 

 

 

遅すぎはしないか、もう取り返しがつかないのではないのか、自分は歳をとってしまったんじゃあないだろうか。

 

 

 

でも、年齢は関係ない。何をするにも早いうちからしたほうがいいのは自明であるが。

きっと、何事も「若いから」を理由にしていたら、歳をとったときに寂しい人間になってしまうと思う。

 

 

これは、祖父母を見ていると痛感する。

彼らは老いを理由にしない。

 

 

 

2.3行で終わるつもりがかなり書いてしまった。

今日もがんばろう!(╹◡╹)