「家庭事情がヤバいメンヘラ高校生の末路が○○すぎるwwwwwwwwwww」
という、2chまとめのアフィカスが好みそうなタイトルをわざとつけてみた。
内容は完全に自己満足なものとなっているので悪しからず。
突然だがあなたはメンヘラと自分で思いますか?
あるいは、自分の家庭環境が異常だと思いますか?
どちらかの問いに当てはまるのならば、私がすぐに家まで全巻をお届けしたい漫画がある。
それは、『彼氏彼女の事情』という少女漫画である!
一言で言えば、この作品は
複雑な家庭環境と、それゆえに歪んでしまった愛の価値観を背景に、
親しい友人や愛する恋人や家族などの自分以外の人間と関わりあうことで、
青年期男女が、己の心に芽生えたアイデンティティの危機を乗り越えていく物語である。
全く一言ではなくなってしまったが、それくらい深いテーマで構成されている。
私が最も感銘を受けたシーンを一つだけ紹介して終わりにしよう。
それは、主人公・有馬総一郎が、ほんとうの「愛」について、彼女である宮沢雪野によって悟ることができたシーンである。
主人公・有馬総一郎は大した労力もかけずに全国模試1位を取ったり、剣道で3年連続日本1と取ったりする、まさに才色兼備、文武両道、それでいて品行方正な完璧男子高校生であったが、実は暗い過去を経験していた。
有馬は愛人の子として生まれ、その親からは度重なる虐待を受けていた。 とうとう死んでしまいそうなその時に、父親の兄が有馬を助け、引き取ったのである。
新たな両親は有馬を温かく迎え入れ、有馬は健やかに成長したが、
「両親を安心させるために、優秀な人間であろう」と仮面をかぶり続けていた。
月日は流れ、高校に首席で合格する。そこで、宮沢という品行方正、成績優秀、才色兼備な女性に出会い、強い親近感を覚える。
実は宮沢は周りからの称賛が欲しくて仮面を被っており、たまたま有馬は宮沢の家での巣の姿を見てしまうが、かえって有馬が抱いていた親近感は強いものになった。
そうして交流を続けていくうちに2人は交際する。
宮沢は、有馬も自分と同じように仮面を被っていたことを知り、2人とも「これからは仮面を外して、本当の自分になろうね」と誓い合う。
宮沢はクラスの女子に誤解されて一時期はぶられることもあったが、色々なことを経て、仮面を外した本当の自分と付き合ってくれる本当の友達に出会うことができた。
このように、宮沢は「外の世界」に溶け込み始める一方、有馬は依然として「本当の自分」をさらけ出すことはできていなかった。
なぜなら、暗い過去をもつ自分をさらけ出してしまったら、今かかわりあっている人から見下され、軽蔑されることを恐れていたからだ。
そしてある日、とうとう有馬は宮沢を「諦めた」。
宮沢はそうして仮面を被り続ける有馬に気づくことができずに2年の月日が経つ。
細かいところは割愛させてもらうが、宮沢は有馬の仮面に気づき、有馬に本当のことを話してほしいと問い詰める。
しかし、有馬は応えない。むしろ、「嘘をつき続けていた自分を宮沢に知られてしまって絶望の淵にいた」
有馬「宮沢に、本当は嘘つきで、卑怯で、醜い本当の姿を知られてしまった。
僕はもう、とうとう誰にも愛されることはないんだ。」
それでも、宮沢雪野は、そんな有馬を受け入れようとする。むしろ、そんな風に自分を打ち明けてくれた有馬が好きになったというほどである。
・・・・・しかし、有馬はさらに強く拒絶する。
カッターナイフを自らの手のひらにぶっ刺すという究極のメンヘラになってしまう。
総一郎の自傷行為に気づいた宮沢……。彼女は、「同じ傷つくったら、私のこと信じる?」と言いい総一郎の目の前で自分の手を傷つけてみせる。
血を流した宮沢を見て、有馬総一郎は本当は自分が何に苦しんでいるのか考える。
悶々とする有馬に、宮沢の言葉が突き刺さる。
「人を、愛したかったんじゃないの」
瞬間、有馬の目からは涙があふれ、一片の雲もない澄みきった青空のように、有馬の心からは全ての悩みがなくなった。
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有馬は今まで、「人々から愛されたい。そのためにいい子でなければならない」と思い込んでいたのだが、実際はそうではなかったのだ。
人を愛するという行為が、有馬の求めていたものだったのである。
メンヘラは口をそろえて、「愛されたい」というが、私はこの言葉の本当の意味は、「誰かを愛したい」ということなのではないかと思う。
「愛とは一方通行的なものではなく、双方向的なものであり、愛する人と自分の関係性である」とさえ言えるかもしれない。
有馬はその後、宮沢を対して「愛する」という行為の意味を理解してから、
いかに自分が他人から愛されていたかを実感している。
・・・・・「愛しているよ」という言葉は、不正確なのかもしれない。
「いや~、ボクと君の間には、確かに愛が存在していると実感するよwwwwデュフフ」
という具合で説明するのは嫌すぎるし、パートナーから気持ち悪がられるだろうが。
そういう意味では、夏目漱石の言葉で有名であるが、「月が綺麗ですね」は最も愛を正確に表現しているかもしれない。
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ところで、最近わたくしあらやしきは婚約(仮)した。大学生のくせに。
私には勿体ない素晴らしい女性である。
彼女もまた、家庭環境に少し複雑な事情を抱えている。
それは、これから永遠に彼女を苦しめる種になることは分かっている。
私だって、その種がまかれることになった一因といっても過言ではない。
私から見れば、彼女は愛を求めているように見える。
時折見せる切ない横顔が、私の胸をして何とも言えない痛みを抱かせる。
痛み・・・・・。
他人が目の前で轢かれようが、ドラマの感動シーンを見ようが、ほとんど何も感じなかったこの私が、心に痛みを覚えているのだ。
「このヒトを幸せにしたい。笑っていてほしい。」
獣がエモノをとらえるように、性の本能にしたがって異性を求めるときに生じる感情とは全く異なる感情がここにある。
・・・とは言えども、まだまだ社会人にもなっていない未熟な大学生である。
5年後には、もうお互いの関係は切れてしまって、連絡すら取らなくなっているかもしれない。
そういう未来もまた、面白そうだな。
人生って面白い!ひとに生まれてよかった。