ハジマリロード | 黒澤ルビィの魅力 | と呪縛の告白

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ハジマリロード

ハジマリとオワリの 線など引けないよ
いつの間にか また始まる
いいな いいな そういうコトにしよう
ハジマリ、ロード?
ハジマ…リロード


モノ足りコト足り ないないだった
それならばならば増やしましょう (えいっ)
おっとっとっ 大正解 出会ってしまった
ひとりじゃないない

フワっとお叱り謙虚にキャッチ
したらばタラリと涙が
(うえーん)
おっとっとっと 大失敗
色んな意味で成長しなきゃ


何がしたいかな () 欲張ってみよう!
一気に叶う夢などないさ

ハラハラ (Ha!)
ネム (Fu!)
バクバク (Ho!)
一歩ずつ近づいて

どこから始まった? (サンシャインマイロード)
思い出探るけど (サンシャインマイロード)
あの時かなあの時かも? 心当たりたくさんあった

ハジマリとオワリの (サンシャインマイロード)
線など引けないよ (サンシャインマイロード)
いつの間にかまた始まる
だから (Hey!) だから (Hey!)
やめられない (やめないよ)
駆け抜けたがる僕らはどこへ

ゴー!イースト? ゴー!ウェスト?

 

ハジマリ、ロード?
ハジマ…リロード

 

手を取り足取り テクテクだった

それだからだから 転びます

おっとっとっ 超能力 あれば避けて なければすってん

でも痛いだけじゃないんだ 見え方違う

昨日より今日の方がハッキリ いろんな意味が感じ取れる

 

驚きなんだよ (!) 進化したみたい? 元気にしたいひとがいるって

ワクワク (Ha!)

ネム (Fu!)

ピカピカ (Ho!)

毎日が楽しいね!

 

これから始まりたい (サンシャインマイロード)

願いが生まれたら (サンシャインマイロード)

育てようよ 育てようね どんな夢に変わるのかな

 

オワリとハジマリで (サンシャインマイロード)

クルリとひとまわり (サンシャインマイロード)

何度だって挑戦できちゃう

だって (Hey!) だって (Hey!)

やめたくない (やめないで!)

面白がりの僕らは走る

ゴー!ノース? ゴー!サウス? (Yeah!)

 

東へ西へ行こう 追い越しちゃえ太陽を

北へ行こう 南へと 灼熱氷河乗り越えて (Go!)

 

ハジマリロード

ハジマリロード

ハジマリロード Yeah!

 

いま 何がしたいかな (さあね) 欲張ってみよう
一気に叶う夢などないさ

ハラハラ (Ha!)
ネム (Fu!)
バクバク (Ho!)
一歩ずつ近づいて (さあ、みんなカモーン!)

 

どこから始まった (サンシャインマイロード)
思い出探るけど (サンシャインマイロード)
あの時かなあの時かも?
心当たりたくさんあった

ハジマリとオワリの (サンシャインマイロード)
線など引けないよ (サンシャインマイロード)
いつの間にかまた始まる
だから (Hey!) だから (Hey!)
やめられない (やめないよ)
駆け抜けたがる僕らはどこへ

ゴー!イースト? ゴー!ウェスト?

 

ハジマリとオワリの 線など引けないよ

終わりは始まりで クルリとひとまわり

いつの間にか また始まる

ハジマリロード? リロード!

 

Aqoursの1年生が卒業する3年生を想いながら歌うこの『ハジマリロード』、数多い名曲の中でも特に群を抜いたものだと思う。

 

 

 

身体が自然と動いてしまうようなハイテンポ、一年生3人組の快活な歌声。3年生を送るときに歌われるはずの曲であるのにもかかわらず、寂寥感は全く感じさせない。

 

 

 

寂寥感を感じていないはずはないのに、それを表に出さないというのは、3年生が笑顔で卒業できるようにするためであろう。

 

 

この曲の歌詞で私が得に好きなフレーズは2つある。

 

 

何がしたいかな () 欲張ってみよう!
一気に叶う夢などないさ

 

 

手を取り足取り テクテクだった

それだからだから 転びます

おっとっとっ 超能力 あれば避けて なければすってん

でも痛いだけじゃないんだ 見え方違う

昨日より今日の方がハッキリ いろんな意味が感じ取れる

 

 

どちらも黒澤ルビィ国木田花丸のパートであるが、特にルビィちゃんのパートに心を動かされる。あまりにも説得力があるのだ。

 

 

実は、黒澤ルビィという女の子は、初登場の時からしばらく、対人恐怖症を思わせるような挙動を頻発し、黒澤ダイヤという姉にかなり依存しており、滑舌も悪い、現実にいれば間違いなく「地雷」と言われてしまう女の子だった。

 

 

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黒澤ルビィ

 

私は当初、彼女のことが大嫌いだった。

 

 

黒澤ルビィという女の子は、ただ「可愛い」というだけでアイドルになった。私にとってアイドルの必要条件に「可愛い」は含まれない。

 

 

何か人を惹きつける内面的な性質こそ、アイドルが最も持っていなければいけない。

 

 

そして、黒澤ルビィにはそのような性質は見られなかった。

 

 

私以外のラブライバーの同様の意見だったのかは分からないが、彼女はメンバー総選挙で堂々の最下位をとってしまっていた。

 

 

しかし、アニメの回を追うごとに、彼女、黒澤ルビィは変わっていく。

 

 

気弱で依存的な彼女は姉から自立し、物事は自分で決める強い「女性」へ生まれ変わっていく。

 

 

愛らしい見た目に反して、自律的でバブみを感じさせるその姿に世のオタクは惹かれたのだろうか、メンバー総選挙では前回の最下位から大躍進し、9人中なんと3位まで上り詰めるほどの人気を獲得した。

 

 

・・・彼女は頑張っていた。常に変わりたいと願っていた。

 

 

「頑張るビィ!」

 

 

黒澤ルビィの口癖である。

 

 

「何がしたいかな  欲張ってみよう!
一気に叶う夢などないさ」

 

 

「でも痛いだけじゃないんだ 見え方違う

昨日より今日の方がハッキリ いろんな意味が感じ取れる

 

 

 

様々なコンプレックスをもつ彼女にとって、夢や目標はたくさんあっただろう。

 

 

それでもあきらめることはなかった。 一つ一つ、着実に努力してがんばるびぃしてきた。

 

 

でもその努力がいつも実を結ぶとは限らない。だから、苦しんだことだって沢山あったと思う。

でも痛いだけじゃないんだ 見え方違う

昨日より今日の方がハッキリ いろんな意味が感じ取れる。

 

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こんな子、ファンにならないはずがない。

 

www.youtube.com

 

 

 

ところで今日、郵便局へ奨学金を下しに行くときにこの『ハジマリロード』をiPhoneで聞いていたのだが、清澄な青空と相まってとても気持ちがよかった。

 

 

 

晴れやかな気持ちになれたのは、その時の景色やその音楽のおかげでもあるが、最も大きな要因は無論、それらを受け入れることのできる精神と肉体が備わっていたからである。

 

 

 

これから話すことは、恐らくネット上でしか私を知らない人間にとっては何のことか分からない内容になるかもしれない。(ラブライブ関連でこの記事にたどり着いた方は、ブラウザバックしていただいたほうが良いと思う。)

 

 

 

しかし、できるだけ一般化した形でお伝えすることに尽力したい。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

最初にひとつだけ、質問をしたい。

なぜ人間は、互いに関わりあうのか?

 

 

例えば人とおしゃべりをするのは楽しいし、同じ映画を見てあとでその感想をお互いに言い合うのも面白い。悩みを抱え込まずに、友達に打ち明けることで気分が楽になる。お互いに高めあい、能力を高めることもできる。何らかの集団に属することで、安心感を得ることができる。特に家族やパートナーと関係を持つことは、愛情と深くかかわりあっている。

 

 

一般的な回答としては、「なんとなく心地が良いから」であろう。

 

 

 

しかし、私はその「心地よさ」が分からなかった。

 

 

 

正確に言えば分からないということはないが、多くの人が「なぜそれほど積極的に他者と関わりあうのか」理解できなかった。

 

 

 

思うに、そうした感覚は生得的なものではなく、後天的なものである。

 

 

 

少しだけ自分語りをさせてほしい。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

私は県内で屈指の進学校に所属していた、というわけではないが、いわゆる2番手校に所属していた。

 

 

 

高校入学当時は、自らの能力についてそれほど自信過剰であったというわけではなく、普通に体育会系の部活に所属し、授業中は居眠りし、物理のテストは赤点ギリギリで、クラス内の成績も中間くらいで、しがない高校生であった。

 

 

 

 

しかし、ある日を境にこの男子高校生は変わる。

 

 

全国模試でもクラス内中間であったのに、冬の模試ではクラス内トップ付近まで学力をあげた。定期考査でも同様である。

 

 

 

何が彼を変えたのか、そう、かの有名な『ドラゴン桜』である。

 

 

 

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ただの弁護士が、超馬鹿な高校生たちをたった1年間で東京大学に合格させようとする物語であり、私がこれを初めてみたのは中学生のころだった。

 

 

たまたま、Youtubeに違法アップロードされたものがあるのを見つけた当時の私は、

「懐かしいな~ちょっとだけ見てみようかな」と、軽い気持ちで見始めた。。

 

 

が、それがまさに今の今まで続いた呪縛のはじまりだったことは誰も知りようがない。

 

 

 

 

私は1年が終わると同時に所属していた部活を辞め(東大に行きたいと顧問に相談したら大爆笑されたので腹いせにやめた)、2年から成績上位者のみで構成される「習熟クラス」に振り分けられた。

 

 

 

 

なるほど、この男子高校生は東大合格に向かって猛勉強を始めたのだなと予想なさったかもしれないが、実際はその逆、全く勉強しなかった。

 

 

 

勉強しないということはないが、定期考査や模試の直前に詰められるだけの情報を詰めて高得点を出し、テストが終われば大方忘れてしまっていた。

 

 

 

怠惰。

 

 

 

いつのまにか東大合格という目標は自然消滅して、故郷の大阪にある大阪大学に進学しようと漠然と考えていた。

 

 

 

しかし、その「漠然とした」目標は、高校2年の秋に「判然とした」目標に取って代わる。

 

 

 

諸悪の根源であり、それと同時に幸福の源泉であり、世界の中心となった人物が現れる。

 

 

 

 

現実世界でヤツを見かけたことは何度かあるが、「きれいなひとだな」とぐらいしか思わなかった。

 

 

 

ヤツは夢に現れた。桜吹雪が舞う中、自分の息子と思われる小さな子供が私と、私の隣にいる”ヤツ”に向かって、何か快活に話しかけている。

 

 

 

私とヤツは、愛らしい”息子”に向かって微笑みかけるだけで特に何かを話すということもなかった。桜吹雪は幻想的で、全てが調和の中に位置づけられていた。

 

 

 

目が覚めると私は、甘美な地獄に続く扉を開けていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

習熟クラスではほぼトップの成績を取るようになった。

ヤツに関わるために。

 

 

 

通常のカリキュラムとは別にある、受験生用の特別課外でヤツと接触してからは、不幸の中の幸いで、事はすぐに運ばれた。

 

 

 

あの爆発的な情熱と行動は今思い返すと笑いが止まらない。

 

 

 

三島由紀夫は、青年が称賛されるのはエネルギッシュという点以外にはないと言ったが、甚だ同感である。

 

 

 

無知で軽率で傲慢。しかし、青年にとってそのような言葉ほど褒められるべき性質はない。(笑)

 

 

とまれ、私はその所属する高校において、ありとあらゆるものを手にした。

 

 

 

学年トップの成績・頭脳、同じような成績と美貌と尊敬を有する”ヤツ”。

 

 

このとき、私の手に入れたものがこれだけであったならば、悪夢はそれほど長くは続かなかったであろう。

 

 

 

権力

 

 

 

私の手に入れたものは、当時の周辺の人間にとっては余程価値のあるものだったらしい。

 

 

 

私の傲慢は加速した。

 

 

 

自称進学校の中での成績トップなど、たかが知れているが、それでも成績さえよければ何をしてもよかった。

 

 

 

自称進学校は、この点を考慮すべきである。すなわち、過度に成績信仰、進学信仰を作り上げることは、価値の基準を「成績」のみに統一してしまう。

 

 

 

体育祭も文化祭の終わりの言葉はすべて、「受験」に絡んでいた。

 

 

 

これは逆に、「成績さえよければ後は何も言われない」ということである。

 

 

 

しかしまあ、担任からひどいいじめを受けていたというのはあるが、同学年の学生からは一目置かれる存在であったと思う。

 

 

 

全く知らない同級生から、「”あの”〇〇”君?」と言われるのはまるで自分が有名人になったかのような錯覚に陥らせた。

 

 

 

 

ここで、最初にした質問を思い出してほしい。

 

 

「なぜ人間は、互いに関わりあうのか?

 

 

 

当時の私に限って言えばこうだ。

 

 

 

 

「物事を思い通りに進ませるため」

 

 

 

これが呪縛である。

 

 

 

そして、その呪縛は「美」が本質であった。

 

 

 

”ヤツ”と出会った夢は、美しかった。そして、その夢を見てからずっと、ヤツだけは他の人間と違って、まるで夢のように美しく幻想的であった。

 

 

 

美とは何か。

 

 

 

夢であり、

 

 

 

知性であり、

 

 

 

そして権力であった。

 

 

 

私は美の狂信者となったのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

しかし、呪縛が呪いの効果を発揮し始めたのは、私が第一志望の京都大学に不合格になってからである。

 

 

ちなみにヤツは私が当初目指していた大学に進学した。

 

 

私とヤツは別れた。

 

 

そして現在所属している大学の後期日程に合格したのを蹴って浪人し、本質であるはずの美、すなわち権力を奪還しようとした。

 

 

ちなみにこれは不幸中の不幸なのだが、予備校でも私の成績は常にトップ、全国の予備校で数十人選ばれる成績優秀生にも選ばれ、〇〇くん(私)は必ず合格するとまで言われた。

 

 

 

全国的に有名な超進学校の生徒にも、成績で勝ることができていることを知りますます調子に乗った。

 

 

 

これは余談だが、

 

 

個人的に嬉しかったのは、「接点tィ!!!」や「この点はでねぇよぉ!」で有名なヤクザ講師(見た目はヤクザのくせに、妙に美にこだわりをもっている)に、容姿を褒められたことである。

 

 

 

さらに、当時ツイッター上で親しくしていた、私の先生でもあり、友である方から、世界の本質である知性と美について称賛を承っていたこともあり、ますます私の呪縛は強固なものとなっていった。(これは決して先生を非難しているわけではありません。)

 

 

 

しかし、そのような歪んだ本質の世界の住人が易々と大学に合格できるほど、運命は甘くはない。(私はこれを運命だと信じている)

 

 

 

いつも摂取している亜鉛のサプリを気管支に詰まらせ、受験当日2つ日間、ほとんどなにも食べずに試験に挑んだ。

 

 

もちろん、頭は回るはずもなく常に空腹とのどの詰まりによる吐き気と格闘していた。

 

 

あの年は、英語の傾向が少し変わり、英作文の問題を正確に読むことができずに20点ほど逃してしまった。

 

 

 

家に帰り、自己採点するとそのミスに気付き絶望するが、どう計算しても去年度の最低点は上回っていたので、割と安心して合格発表に臨んだ。

 

 

 

結果は不合格、2か月後に郵送された成績通知によると、あと3点で合格していた。

 

 

ちなみに、2回とも文学部なら合格していたはずの点数であった。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

2浪はせずに、現役の時も合格した大学に後期で再び合格し入学した。

 

 

そこは世間的には「良い」大学とされているが、私は全く満足ができなかった。

 

 

 

なぜならヤツは私より良い大学に所属していたから

 

 

なぜなら、本質はますます私から遠ざかったからだ。

 

 

 

ヤツ以外の女は等しく野生的で醜く、つまりブスにしか見えなかった。

 

 

大学の人間も、みな取るに足りない馬鹿にしか見えなかった。

まともに数学の計算ができないものもいて失望した。

 

 

新しく入ったダンスサークルでは、ダンス初心者にも関わらず周りから高い評価を受けた。

 

 

授業にあまり出席せずとも、直前の勉強で最高評価を得るのは容易だった。

 

 

 

つまり、大学に入っても呪縛は解けずに、傲慢は依然として私を纏っていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

そこで編入という制度を知り、現大学からの脱出を試みる。

 

 

 

動機はもちろん、呪縛としての本質である。

 

 

 

いわゆる学歴コンプレックスという類のものとは一線を画していたように思える。

 

 

 

コンプレックスは純粋に美そのものであったからだ。

 

話がかなり長くなっているので、簡潔に書くとしよう。のちに編集するだろうが。

 

 

 

 

 

 

「恋愛対象として見れない」

 

 

 

 

 

ヤツはつい最近、そう私に言い放った。

 

 

私はある一つの提案をしていた。

 

 

将来、結婚する可能性があるのならば、遠距離ではあるが(むしろ遠距離だからこそ)交際したほうがお互いのことを知れてよいのではないか、と。

 

 

そう、ヤツは私のフィアンセになっていた、めちゃめちゃ話し合うから。

 

 

しかしヤツの答えは「NO」。

 

 

「結婚相手としてはいいけど、カップルとしては無理です。あなたには恋愛感情がなくて親しい友達のような感覚だから。」

 

 

...わかっていた。そう返されるのは分かっていた。

 

 

 

なぜなら、私もそうだから。

 

 

もはや、獣のように走っていた青年のころと比べると、ヤツに対する情熱は失われていた。

 

 

 

それでも、私は本当に心の底から前述した通りの理由で交際したかった。

 

 

 

するべきだと思ったのだ。ヤツの精神状態や性格を考慮すると、それが最善だと思っていたから(直前はそう思わなかったが)

 

 

 

それでもこの提案をしたのは、断れると分かっていながら告白したのは、

 

 

 

呪縛の存在を認識し、鎖がもうすぐ外れそうであることに気づいたからである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

「NO」と言われ、その理由を聞いた瞬間、一瞬は躊躇い動揺したが私はなぜか晴れやかな気持ちになった。

 

 

思えば、今の今までそうはっきりとした返事をもらったことがなかった。

 

 

 

はっきり言わなかったのは、ヤツの屑なところだということも今では認識している(が、それですら愛すべきだと思っているが)

 

 

 

私は呪縛から解き放たれた。

 

 

 

知性・美・権力の渦中にいた私は、そこから脱出して広大な海を自由に泳げるようになった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

翌朝、なんとなく心が懐かしい訴えをしていること気づく。

 

 

この感情は、以前経験したことは確かであるが、どのような名前であったかしばらく思い出せなかった。

 

 

いつもの通り、祖母が用意してくれる朝食を食べて学校には...行かずに友達の家に行って遊ぶ。

 

 

すると、「懐かしい訴え」の声は聞こえなくなり、代わりにまた懐かしい、そして温かい気持ちになれた。

 

 

 

それはまるで、自然が人間に恵む、澄み渡る青空や煌びやかな陽光のようなものであった。

 

 

 

 

「これが  そうか

 

 

 

 

 

 この掌にあるものが 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心  か  」

 

 

 

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(これを言いたかっただけ)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「なぜ人間は、互いに関わりあうのか?

 

 

 

今、ふたたびこう問われたら私はこう答える

 

 

 

 

「それが、なんとなく心地よく、愉快であるから」

 

 

 

 

今までずっと、私にはない、他人が無条件に他人と関わろうとする欲求が備わっていたら、どれほど”楽”だったであろうかと夢想していた。

 

 

 

一人でも何も感じなかった。権力があれば人を操れる。操られる側の人間と無条件に関わろうとするのは意味が分からなかった。

 

 

 

今は違う。私はもう呪縛から解放された。

 

 

 

代わりに、この名状しがたい心の訴求を得た。

 

 

 

敢えて、「孤独感」とは名付けない。

 

 

 

それは、冷酷だった私が「権力や美を有していない、あるいは、有していると思われていない状態を焦る感情」だと定義づけていたから。

 

 

それに、こんな素晴らしい感情に「孤独」なんてネガティブな表現を与えたくないのでね。

 

 

良い名前が見つかれば、そのうち書いておきます。

 

 

 

 

さて。

 

 

 

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