松本人志と同じだよ、俺は

いま、世間では松本人志のスキャンダルが話題になっている。

あのまっちゃんが、8年ほど前に性的暴行みたいなことをしていたと告発している女がいるのだ。警察が介入したわけではなく、つまり、事実確認があったわけではないが、文春によって噂を広められて、それが結局、松本人志自身の仕事や生活に大きく悪影響を与えているわけだ。

 

松本人志は、表の舞台では神様のような存在である。お笑いという世界で、一つの基準を作って、それを他の芸人がまねをして、色々な技を考案している。テレビというのは多くはバラエティの領域であるが、その中心にもやはり松本人志のお笑いというのが大きな要素としてあるだろう。

 

これほど能力もあり、お金もあり、そして権威もある松本人志は、
きっとプライベートでは性的暴行まがいのことだってしているだろう。「俺の子を孕め!」なんて言葉、夜の営みの場だからといって、なかなか見過ごせるものではない。

 

「自分のバックには色々頼もしいやつが控えているし、まさか俺を恨んで刺しにくるやつなんていないだろう」そう思っていたはずだ、松本人志も。

 

俺もそうだった。松本人志と同じ心境だった。

このブログで書いたかもしれないが、私は浪人時代、1人の女の子の好意を、私の性欲の思うがままにふみにじったことがある。当時、私自身の心もひどく荒んでたり、高校時代や浪人時代の自分の周りからの評価もあって天狗になっていたり、あるいは単純に思春期真っ只中だったりということで、そういうことをしてしまった。

 

心のどこかには、きっと、そういうことをしてもあの当時のあの子はその評判を周りに言いふらすだろうみたいな考えは微塵もなかった。私は振り返るとそういうことがよくある。中学のころもそうだった。今はもうなくなってしまったが、とある女の子にセクハラまがいなLINEをたくさん送っていた。というのは、その子はそのアカウントは携帯からスマホに移管して使わなくなったからだ。どうしてもその当時の暴力的な性欲をぶちまけたかったのだろうか。今思えば愚かなことをしてしまった。

 

私に好意を向けている人に対して、何をしてもいいみたいな考えが心の底にあった気がする。いや、確かにある。もっというと、俺は誰かに好かれたいみたいな考えすらなかった気がする。好かれるとは、どういう状態だろうか?こんな哲学じみた問いするのなんて、浪人生とか編入受験生やってたころぶりな気がする。あるいは、トー子ちゃんに振られたときとかかな。

 

今の私を形作っているのは、紛れもなく、そうした何が正解か分からずにもがき苦しんだり、模索していたりしたときの思考や、思考に基づいて何かしら行動した経験である。

「死とは何か?」「生きる意味はあるのか?」「人とは何か?」というような死生にかかわる問いから、「社会とはどうあるべきか?」「人間はどうあるべきか?」「そもそも人とは?」というような、世界や人間についての問いを経て、

「どうすれば社会になじめるか?」「どうすれば好きな人を落とせるか?」「お笑いとは何か?」といったような、社会生活に関する問いをしてきたように、ステージによって自らの中の問いの種類が変わっていたような気がする。

 

しかし、ここにきて、過去に回帰したような問いが自分の中に生まれている。

「人から好かれるとはどういうことか?」

私の中に生まれてきた強迫的な問いは、私を新規な体験へと誘い、私に疾風怒濤の勘定を味わわせてきた。そして、最後に残ったのは問いに対する自分自身が納得のいく回答と、豊かな人生観であった。

 

私は最近、高速音読をしているが、それでこの前読んだのが、
色々なフレームワークを紹介している本であった。私はわりと戦略的な思考やアイディアについては自信があったが、その本を読んでから、自分自身の考えの広さも深さもまだまだであることを痛感した。
そして、前回の記事で書いたように、いま新しく仲良くなりたいと思っている女の子がいるが、私には最初はほとんど理解できなかった彼女の性格や思考について、ネットで勉強するにつれて、自分自身がまだまだ思考においては未熟な部分があるということを知った。

 

私は井の中の蛙だったのだ。毎年これほど成長したか、と思っていても、まだまだこの世の中は広く、豊かである。

彼女の性格について理解を深めようとしていて思うのは、
なぜそんなに人から好かれようとするのか?ということ。私はやっぱり、コストとリターンを非常に気にする人間であるが、人から好かれるということが一体どれほどのリターンがもたらされるか正確に見積もることができない。むしろ、それよりも自分自身の強化に努めた方がコスパがよくないか?と思うことが多い。

ただ、彼女の生きざまをこの前聞いていて思ったのは、彼女の実家が太いからというだけで彼女はいまを幸せに生きているのではなく、彼女自身の社会的な関係によっても彼女は幸せに生きているということである。高校という箱の中で幸せに生きるためには、テストの点数を取ることが唯一の正解ではなかった。沢山の課題が出されたとしても、それをクリアするための方法が、課題をまじめにやるということだけではなかった。

人から答えを見せてもらい、あるいは、答えを見せてもらえるよう普段から周りから好かれているということも、あの高校生活を生き抜くためには、一つの解決策としてあったのだ。

 

人から好かれるということ

概念的には、いや、概念的にもまだ理解できていない。
人から好かれるということが何となく、めちゃくちゃ大事ということだけはわかった。でも、それってどういうこと?具体的にはどう大事なの?どうすれば好かれるの?そもそも好かれるってなに?

私の頭の中にははてながいっぱいである。
ただ一つ言えるのは、今のありのままの自分を好きでいてくれる人は沢山いてほしいな、ということである。どちらかというと、そっちの思いが強い。どうすればいいの?

私は他人と接するとき、頭のどこかで「この人をうまく操ってやりたい」みたいな考えがあるように思う。だから好かれるっていうのは、私なりの感覚で一番近いのは、
好きに操れるということである。

そういえば、中学生の時も、私のことが好きだと言ってくれた人に対して、
「ひどいこと命令するかもしれないよ?」と言おうとしていた。どういうわけかさすがに、それはヤバいと思ったのか、言わなかった覚えがあるが、、。

studyhacker.net

 

↑みたいな側面は自分にも、そして今私が嫌いな上司にもあると思う。

 

ますますわからん!

お笑いってなに?って最初思ってた時くらい分からん。だが、お笑いが何かというのも、色々経験して、省察して、自分の感覚を経験と混ぜて理解していった。

 

多分、そうやるしかないんだろうな。

他人を観察するんだろう。私はこれからきっと。あー、俺は新規事業に全ぶっぱしたいのに、おいしいごはんも食べたいのに。まあ、いいや、面白いじゃん。

なんか、世界が一気に広く感じる。恐怖を少し感じるくらい、自分の周りの世界が広がった気がする。面白いじゃん。面白いじゃん!

 

好かれるっていうことがどういうことか、理解してやろうじゃねーの!