あらやしきの発露


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久々に、MBTIでちゃんと「ENTJ」が出た。

前にENTJが出ていたのは、おそらく高校3年生~浪人生のころ。

 

それ以降は、ENTPになったり、ESTJになったりすることが多かった。就活生のときにはENTJに一瞬だけなった気がする。

 

でも、ENTJが出る理由も今はわかる。明らかに、自分の感覚が少し前の自分のそれと異なる。世界に対する姿勢が異なる。世界をいかに受容するかではなく、世界の構造を捉えんとして、そしてその上で世界を楽しんでいる。

 

キャリアプランを考えるときも、起業という選択肢が今はある。

ESTJのころ、バチェラーに出ている黄さんを見て、なんとなく親近感を得ていた。そして、彼女に対して「俺はいつか起業をすることになる人間だ」と語った記憶がある。そのころは、起業をしたいとは全く思っていなかった。でも、感覚的な未来予測として、私は必ず起業をする人間であることが分かっていた。

 

そして、今、その時が来ている。私は起業をしようとしている。ビジネスモデルを打ち立て、それを実現しようとしている。

 

ENTJの性格として、俯瞰力と冷静な分析力をもち、目標を達成するための計画を立て、それを達成するために全身全霊をかけ、また、達成しようとすることや達成することに喜びを覚える。

 

少し前の、ESTJ・ENTPライクな私であればこの感覚はあまりなかったかもしれない。計画は立てるものの、そこに自意識や自身の強烈な欲求というものはあまりなかった。

 

今は、高校生のころのように、いや、そのころよりも強く自分を健全に生かす必要性と方法を認識して実行しているから、また、めちゃくちゃ依存していた人たちに対して自立したい精神で臨むことができて、自分というものを感じているから、とにかく主体性の塊のような存在である気がする。

 

前の記事でも書いたように、私は愛することの精神的な幸福さの寄与加減を知り、積極的に自分を愛することから初めて他人とつながる方法をなんとなくだが、心得始めている。ACでない人の世界の楽しみ方を知り、それをまねすることで、今まで私が味わったことのない定常的な幸福感を得始めている。

 

資本主義という世界の構造と、その中で生きる人間と、その人間の精神的構造を知り、

私の今迄の精神的幼児性を認識し、そうして知ることから、自立へ目指し、自らの手で幸福を掴もうとし、なんとなく掴んでいる。

 

今迄の、躁鬱の中の躁状態になっているわけでもなく、持続的な幸福というのが、どうすれば実現できるかというのをなんとなく心得ている、だから、明日に対しても希望が持てる。私は、そして、やりたいことがある。ビジョンがある。こうなったらいいなという想像力を働かせて、今ある自分に満足しながらも、よりよい世界を思い描き、そのために何が必要かを思案し、計画を練り、そのために自身のリソースを戦略的に配分して、そして行動しようとしている。

 

私は幸せになる、成功するという信念がある

 私は編入しようとしていたときも、「成功する」という確信じみた信念があった。それはきっと、何をどうすれば試験に受けるかをリサーチに基づいた、突破方法を自分の中で思い描いていたからだろう。

 

 私は自分の中の戦い方を持っている。性格が変わっても、絶対に変わらないやり方でこの世界に挑む。それは、構造を知ることを第一とすることだ。何事も、構造を先に把握する。FPSであれば、地形を知る。地形を知らない状態でむやみに動くことはできない。敵の動きもまずは把握する。だから、最初は正直防戦一方だから、大体負けるしうまくいかない。

 

 正直、ビジネスをやるという点について、具体的なレベルで構想が寝れているわけではない。だから、マクロ的に考えたときに成功する、幸せになるとはまだ言えない。だが、上記のような構造を把握して、仮説を立てたうえであらゆる準備をして備え、いざというときにしかと獲物を捕らえるということについては自信がある。だから、私は今成功するという信念がある。

 

もっともっと詰めなければならない。だが、第一は自分自身を甘やかすということ、そしてその甘やかしをほかのひとにも施してどんどん同志を増やすこと。