昔の自分の写真を見てみる。
「キラキラ」している。それは,服装もそうだけど,何よりも表情が全部明るい。大体,満面の笑みだ。
昔の自分を見ていると,勇気や元気をもらえる。今の自分より知識も経験もない昔の自分は,それでも底知れぬ自信と行動力がある。こいつと一緒にいると楽しい気持ちになれるし,明るくもなれる。だから,人が集まる。
私にもこんな時代があったのだと考えると,今の自分だってできるのではないかと思えてくる。パワポケ11のカリムーが昔の活躍してた自分を見て,また,誰かから気にかけられているという実感を得て,再びやる気がでたというように。
底知れぬ自信,そこに価値がある。未来や希望があると思わせてくれる。
どうして私は,人は忘れてしまう生き物なのだろう・
昔の写真を見返していて,あああの頃は楽しかったなあキラキラしてたなあと思うものもあれば,どうしてあんなことをしてしまったんだろう,どうしてあの頃はあんなに余裕がなかったんだろうと思うものがある。
私は,一直線上に生きてきているわけではないように感じる。ある日どこかの時点で,
断絶が起きて,そこで記憶がある程度リセットされているような気がする。
何か嫌なことがあったり,そんな自分が嫌になって,目の前のことから目を背けて,想像上に輝かしい未来の自分を作り出し,それに向かって走り続ける。
私はそういう男だ。だから,今の私の経歴がある。そして,そこで出会ってきた繋がりも,大切な人たちとのつながりがある。ということも分かっている。
人生におけるそのたびごとの選択は,一概に良い悪いと言えない。
選択をした私が,私自身を見つめず,ほかの方を向いていたとしても,それはその時には合理的な選択だったのだ。その時の私にとって,そうする以外に道はなかったのだ。
今こうして,過去を振り返ったときに「あのときは,もっと自分を見つめて,他人をおもんぱかっているべきだったなあ」と思うことが沢山ある。でも,それは今だから思えることだし,何ならそういう失敗をしたからこそ,そんな風に思えるのかもしれない。
ちょっと話は変わるかもしれないが,できるだけ少ない失敗をして,それから最大限の学びを得るためには,PDCAサイクルを効率的に回すことが非常に大切だと思う。
このサイクルの1過程における,PlanとCheckが少し欠けてるように思える。
だから,Amazonで仮説思考の本を今日買った。
こんな風に思うのは,昨年の外コンのインターンの経験があったからこそだ。私はあのとき,Plan(現状分析と,問題を解決するための仮説思考)が欠けていたことに気づかされた。よくない完璧主義をKさんから指摘されて本当に良かった。指摘された瞬間,「まさか自分が!」と思ったくらいには,自分自身を見つめられていなかった。
またまた話は変わるが
私は今,懇意に付き合う彼女のような存在が一人いる。今度,陶芸体験を一緒にしに行き,もしかしたらそこで付き合うことになるかもしれない。
でも,そんな予感を抱くにつれて,私はあろうことか,別の女性にいろいろ声をかけている。それは,決して今の彼女が嫌だというわけではない。
これは,きっと私自身の問題なのだ。ウェルビーイングと,今までの自分にも見られたような地に足ついていない自分を,行ったり来たりしている。不安定な状態。
私はぴったり体と精神がくっつくことに少し恐怖を覚えているのかもしれない。なんとなくだけど,そうなれば自分としては幸福になれるのに,なぜか周りから攻撃されてしまうというような。
そうなって,周りから妬みや攻撃の標的にならないように,進んで自分から棘を出すようになった。他者評価を気にして,最強の自分になれるように。
でも,本当の自分の心に問いかけてみると,それは心があったかくなるような幸せではないということに気づく。どうすればいいのだろう。
分かる。少しずつ調整していくしかない。
今の実地について私のままで,自信たっぷりにふるまえるように,笑顔で人と話せるように,豊かにしていこう。それは,もし結果的にそうならなくても,そうなることが自分にとっても他人にとっても正しいと信じているから,努力自体が幸福になる。
まずは,仮説思考。