モテるためには「キラキラ感」を出せ

陰キャでも陽キャでもない人の特徴】中間の立場は友達が少ない!? | 陰キャ研究所

なぜ今年度の前期では私に対して人が冷たかったのか

 ①瞑想による効果

 ②「キラキラ」感の演出がなかったから

 

①について。これは(A)自分を見つめて,不必要に自分を高く評価したり,また偽りのキラキラした自己像を作り上げて他人にさらすことがなくなった(B)私自身の感受性の高まり,という2つに分類されるだろう。

 

②について。今年度の前期は,私の人生史上で最も「キラキラ感」のなかった瞬間だったように思う。「キラキラ感」を醸すためには,思うに,対人関係における成功が鍵だと思う。例えば,とあるサークルでリーダーをやるだとか,アパレルのアルバイトをするだとか,何かの大会で優勝するだとか,社会集団の中で目立ったことをすると「キラキラ感」が出る。

 ここ半年間は,対人関係が最も少なかった時期だと思われる。補足すると,このような「キラキラ感」を演出することもなかった。例えば,インスタなどで綺麗な食事の写真を挙げたり,美しい景色の動画を挙げたり,あるいは誰かと会食したストーリーをあげるなど。

 なぜ,このようなことをしなかったかというと,瞑想も関連して,インスタでストーリーを挙げることに代表されるような「表現」にいったい何の意味があるのか,改めて自問自答したからである。自分の中で答えが出るまでは,このような行為を控えようと思ったが,それが転じて「キラキラ感」の演出機会が減り,そして周りから冷たい評価を受けるようになった。このような論理構造だろう。

 

「キラキラ感」とモテ

 「キラキラ感」とモテは密接に関連していると思う。

「キラキラ感」とは,対人関係スキルにおいて優れていることが示唆されている状態だと定義したとき,大多数,特に女性はパートナーに対してこの「キラキラ感」がどれだけあるかが重要になってくると思われる。

 何故かというと,女性は同性の友達との会話で,パートナーを自慢することで自身が高い評価を受けたいからだ。(これは勿論男性にも言えるが)例えば,女性は「うちの彼氏は年収うんぜんマン超えてて~~~」「私の彼氏はとあるサークルの代表をやってるのよ!」などという会話をしがちだ。そうして,周りの同性から高い評価を受けたいのである。男性の場合は,「俺の彼女,ミスコンに出るくらいかわいいんだぜ!」という風に自慢するだろう。しかし男性の場合は,他人に誇示することが恋愛の目的というよりかは,性欲に代表されるような自身の欲求を満たすことが第一の目的である印象を受ける。まあ,私の感想にすぎないが

 

「キラキラ感」とは初めのコミュニケーションで重要

 事業で例えるならば,「キラキラ感」とは広告のことである。広告は,「この商品を買えば,悩みが解消されそう!/このサプリを飲めば痩せそう!」といったように,消費者に対して輝かしい未来を彷彿とさせる役割を持つ。「キラキラ感」も同様で,「こんなにキラキラしてる人が彼氏になれば,同性の友達にも自慢できるし,色んなことで得しそう!」と相手に思わせることができるのである。キラキラ感とは,より広い意味で定義すると,より良い未来を見せてくれそうだという期待感とも言い換えられよう。

しかし「キラキラ感」は持続的なコミュニケーションでは有効的でない

 持続的なコミュニケーションとは,恋愛でたとえると,いわゆるワンナイトラブではなく結婚である。結婚では,期待感ではなく,便益が求められる。もちろん,全くキラキラ感が求められないわけではないが。

 

なぜ今までモテてたのか

 ①五感に訴えるもの(顔,身長,声)

 ②好奇心に基づく,傾聴力

 ③高慢さ

 ④ステータス(学歴,サークル,アルバイトの質)

 ⑤積極的な自己開示

大多数と同じような欲求

 「モテ」や「努力」のような言葉について今まで理解が困難だったが,よく考えるとほかの人と同じように「モテ」に関心があるし,「努力」もしているのかもしれない。

 なぜ理解が困難だったか,それはそれらの用語に対して,また自分自身に対して疑問を問いかけることが癖だったからだろう。

「模範」

 「お前はクラスの模範となってほしい」高校生のころに担任から言われた言葉だ。当時,学校の授業をさぼって独学で勉強していた私は,担任からいやな目で見られていた。もちろん,この言葉に従うということは,学校の授業をまじめに受けることになるので抗った。

 

 それはそうとして,「模範」について考えてみる。模範とは,理想像とも言い換えられる。あるいはキラキラ感とも言い換えられる。「この人のようになれば,あるいは行動すれば,きっとうまくいくに違いない!」

 私は今まで,模範になろうという意識は皆無だった。誰よりも特異な存在であり,その意味で人々の意識に残りたいと思っていた。それは,集団になじめなかった私なりの社会的参与の方法であろう。

 しかし,今は馴染めないという問題はある程度解消されている気もする。中二病やクソガキ特有の高いテンションもなくなった気がするし,どんどん「普通」にもなっているように思える。

 

 余談だが,このように凡人になっていく自分が嫌で嫌でたまらない時期が前にあった。だからこそ,iPhoneのような人々の意識を変えられる,一発逆転の道を探っていたのかもしれない。いや,単純にものづくりは好きだが。

 

 模範・・・・・。

それはそうと,今まで無意識に自己顕示をして,そのおかげで人から賞賛を受けていたことを知れた。この半年間,人間関係は正直絶望だったけど,おかげで「表現」について何となく正しい理解を実感できた。

 

模範か・・・・。今,模範になろうとするのか,あるいは,自分の満足を貫くのかどっちがいいのか考えている。いや,おそらくこれもバランスを取れという話で終わるのだろう。もっとも,模範になって周りとの繋がりを持てること自体が私の満足でもある。

 

 

追加9/3

電子工作と、承認欲求とかキラキラ感とか模範は分けて考えよう。(笑)