憧れていたのかもしれない

静寂なる夜の男子寮の廊下で、金髪の彼は唯我独尊とも言わんばかりに大声を張り上げて歌っていた。

 

その曲は私にも耳馴染みのある有名な曲だった。

廊下ばかりでなく、共同浴場からも彼の歌声は私の部屋にまだ響いていた。

 

ここは自動車学校に合宿で通う男子寮。

ここに集いし者たちは、人種や国籍、経歴や年齢の如何にかかわらない。だからこそ、お互いがそれぞれこれまでも、そしてこれからも交わることのなかったであろうタイプの人たちと関わりあうのは必然的だ。

 

周囲を気にせず、自分が気持ちよくなるためだけに大声で歌う金髪のその少年は、私にとってはある意味で新鮮だった。

彼のように、いわゆる「やりらふぃ系」とでも揶揄されるような人物はある程度私の中で人物像が定まっていた。そして、彼やそれ以外の人たちもやりらふぃってくれていた。

 

しかし、彼らは根っからの悪人ではなく、どちらかというと私の母親のように、純粋すぎるがために周りに迷惑をかけていることを知らないタイプの悪人だった。

 

それに、そうして大声で複数人と騒ぐこと自体には、私のやうに静かなところを好むような、彼らとは異なる文化では忌避されるような性質も、彼らの文化ではむしろ歓迎されることなのだ。

 

それは、「分かち合う」ということだろう。

そして、「分かち合う」ことは愛に通底する。

 

私は憧れていたのかもしれない。彼らのように、自由奔放に振る舞う生き方に。周りの目を気にしない生き方に。

 

ああいうタイプは、今までの私にとっては忌避されるべき存在の一つであった。中学校の頃の同級セアがその一例だっただろうか。

彼らは、学校のルールや先生に反抗的で、創作物に出てくるようなヤンキーに憧れ、そのヤンキーのように自分より弱いものにいじめをしていた。

 

あの頃、そうしたヤンキーは間違いなく私にとって忌避される存在だった。しかし、今思えば、彼らは純粋だったのだと思う。

 

私の記憶の中では、ヤンキーが全員、私を嫌っていたわけではなく、むしろ好意的だったように思える。KくんやAくんはヤンキーの部類に入っていただろうが、私をいじめたことは決してなかったし、一緒にゲームをするくらい、あるいは下ネタで笑い合うくらいに仲良くしてくれたと思う。

 

私をいじめたことのある奴らは、大抵、自分に自信のなかった小物ばかりだった。そういう奴らは全然ヤンキーではなかったし、ヤンキーの中でも相当下っ端、KくんやAくんからも見下された存在だった。

 

私は、憧れていたのかもしれない。

 

親や友人や、私の好きなもの・私自身を貶めす者たちからの非難を恐れて、本当の自分を出すことができなかったり私は、合宿所にいる金髪少年や浴場で気持ち良さそうに歌う人たち、KくんAくんのように、周りに迷惑をかけることになろうとも、自分が「かっこいい」と思うことや「良い」と思ったものを素直に肯定して、それと似たことをしようとする純粋で、素直な人たちを、その生き様に憧れていたのかもしれない。

 

まだ遅くないだろうか。うん、遅くはない。

 

もっと、自分の好きなものに正直になろう。

そうして、自分自身を好きになっていって、好きになった自分を愛してくれる人を見つけ、共に生きよう。それがきっと、人間の、あらやしきの道なのだと今は思う。おやすみ世界