孤独の100年にはしたないねん

自分はここにいてよかったんだろうか。
この飲み会の場にいて、邪魔じゃなかっただろうか。本当は俺以外で話したいことも沢山あったけど、話せなかったんじゃないだろうか。俺は失礼なことを言って相手の気分を害さなかっただろうか。もうこれから、二度と気にかけてもらえないんじゃないだろうか。怖い。怖い。怖い。捨てないで。見捨てないで。もっとボクのことを見て。見放さないで。いやだ。もっと一緒にいたい。別れはいやだ。痛いよ・・

 

僕はいま、職場の同僚に対してこう思っている。いや、彼らに対する自分の中の思い。

ちょっと自分でも異常だと思えるくらい、自分に自信がなくなっている。

 

多分そうした不安がこの土日でずっとあったんだと思う。だから、俺はずっと、上司からどうやったら見放されないかを考えて、そして、そのために上司から勧められた本を読んで感想を伝えることで、見込みのある若手だと思ってもらおうと思っている。

 

と俺は思っている。

 

本当に自分が何を考えているのか、感じているのかなんて、実は俺自身にも分からないのかもしれない。

 

凄く不安だ。もう2度と会ってもらえないんじゃないか。
過去の自分に戻りたい。そして、、、。

でも逆に考えてみよう。それは、相手も同じことを考えているんじゃないか?
Yさんだって、恐らく本音で何かを語った覚えはないような気がする。それは、シンプルにあまり本音で何かを語ったことのない別の上司がいたからかもしれない。俺とサシで話しているときは、かなり自由に語ってくれたように思う。俺のことが心配だと、言ってくれていた。パフォーマンスかもしれないが、それでも俺のことを褒めてくれた。それだけ俺にやはり関心があるのかもしれない。

一方で、Tさんは自身の夢について語ってくれた。自分がチームにいられなくなった時が自分の最後だと語っていて、そして、自身のスキルや哲学など全てを私たち後輩に託したいと打ち明けてくれた。(それに対して、吉田さんは「何か言ってくれたら受けますが、、」みたいなドライな返しをしていたが。。」)

きっと僕になにかを二人とも期待してはいたと思う。俺が二人と話すときと同じくらい、開放的な人間で振るまうつもりだと思っていたかもしれない。一方で、俺は二人が話してくれることが嬉しかった。ただそれだけでよかった。正直、司会みたいなことをしたかった。それは、前に同期と大学の友達をつなぎ合わせようとしたときも同じだった。私は、結局、「その場にいてよかったのかな?」と思ってしまう。

凄く矛盾した話に聞こえるかもしれないが、俺はヒトのつながりが増えるだけでいいと思っている。そこに必ずしも自分がいてほしいと思っているわけではない。

いや、むしろ純粋なつながりの前にして、自分は一時退散をしたいくらいかもしれない。なぜなんだろう。そこに残るのは、元々もっていた低い自己肯定感しかないからか?

 

書いててまた悲しくなってきたな。お酒はやはり不安を感じさせる。今日はとりあえず寝ます。2冊も本を読めて言い一日だった。筋トレもちゃんとできたし。

 

そうだ、思い出した。俺はさ、めちゃくちゃすごいと思うよ。自分でも積極的に言っていきたいね。だって、幼稚園は不登校でさ、家庭は親同士や親と兄弟同士の喧嘩が絶えなくて、たまに死のうとする家族を幼いながらの子供が、自分を犠牲にして、自分を一人にしないでという心の叫びをぐっと飲みこみながら、自分