レベルアップと新たな壁

8/23、私は富山のクライアント先にタクシーで移動していた。

早朝6時に起床して、眠気と出発時間に間に合うように朝の仕度を整えていた。

7:15に上司を乗せたタクシーが私のホテル前に泊っている。それに私も乗り合わせ、クライアント先に向かうのであった。

 

「昨日はよく眠れましたか?」

上司はいつも心優しい言葉をかけてくれる。単なる空白の埋め合わせではなく、相手の体調も把握する目的も兼ねた、心優しい言葉がこのように私に投げかけられた。

 

タクシー運転手から話しかけれたときは、上司は進んで会話をする。それも優しさからくるのか、それとも、その場の静けさを回避するための会話なのか、私からは推察の及びもつかないが、今考えてみると、沈黙だった場合と比べると、私と上司が話さなくても居心地の悪い空気は流れなかった。私も、そんな上司を見習って、これからは相手の体調や雰囲気を見つつ、その方以外と話すようなその場の雰囲気作りをできればしていきたい。

 

クライアント先につくと、基本的に上司の後ろにつく動きを取った。

朝会では、上司が基本的に会話を先導する。前日の状況報告や相談事項、確認事項を予め考えておき、それを話す場としていた。ただお堅い雰囲気ではなく、雑談が挟まれるときはその場の雰囲気を壊さんように、ないし盛り上げられるような一言もポンと言える、そんな上司を今では尊敬している。

 

「今では」というのは、逆に言うと、今までは尊敬していなかったということだ。

尊敬していないというか、是とする姿勢はとらなかっただけではある。その上司は、プライベートや自身の欲望を犠牲にしてまで、その場の空気や仕事の遂行を優先しているように見えた。それは、私の生き方とは少し相反する。仕事優先であれば、もちろんその人自身も苦しむことになるが、何よりその場面に出くわしたほかの人もなんとなく気分が悪くなる。基本的に、自分以外の誰かが苦しんで自分は得するような状況を受け入れられるのは、その相手のことが嫌いか、そいつ自身が腐っているかのどちらかである。私は上司のことは嫌いではないから、そういう自己犠牲的なムーブはあまりしないでほしい、また、部下も将来はそういうことをしなくちゃならないのかな、と思わせるようなことに繋がってしまう。

 

また、心から尊敬できなかった理由は、少し自分に似ている所があるからだったと思う。尊敬とは、自分とは異なるが自分の道の先にいる人やその特性に対して抱く感情である。その定義を踏まえると、私の上司は、私と割と似ていて、かつ、それほど遠くにいると感じられる人ではなかった。似ているというのは、先ほどの話でも出たような、相手の気持ちを慮ることができ、全体を見て調整役として動くことができるところ。もちろん、自由度という観点では私のほうがはるかに高いが、それでも気質としては私もそういうことができる人間だ。

 

そういう理由で、私は上司を心からは尊敬していなかった。しかし、最近は私とは明確に違う人間であり、かつ、私にはなしえないことをする人だということが分かった。まず第一に、頭の回転が速い。そして、体力がとてつもなくある。ぶっ倒れない。それは上に立つものにとっての必須条件の一つではなかろうか。体調を崩さず、ペースも乱さず、80%かもしれないが、常にトップスピードで駆けていく。

将来を見通す力もあり、推進力もある。マジであの人が女性だったらめちゃくちゃ理想的な人かもしれない。あとは、本当に部下を気遣えるところ。あのお方は、私含んだ部下に対して、休みを取ってほしいとしきりに言う。マジでなんであんなに休みを取ってほしいんか、今でも理解ができない。あれは何なんだろうか?マジの利他精神なのだろうか?休まず働き続けた過去があるから、部下にはそうなってほしくないという意図があるのだろうか?もはや畏敬の念のさえ軽く感じる。

とまれ、私はその上司に対して、仕事の面や、人間性の面で畏れ多く感じている。

 

話は脱線したが、今回私が書いているのは、富山出張中の話である。

 

初めてのクライアントフェイシング

今回の出張で、私の社会人生活ではほぼ初といっていい、クライアントフェイシングを多数経験した。いわゆる期間限定の常駐、それも、ただ単に決められたタスクをこなす運用チックなタスクではなく、システムを導入・展開するフェーズにおけるダイナミックなコミュニケーションのタスクがほぼ確実に発生していた。

最初はとても緊張した。

製造現場をいくつか回っていたのだが、私がある程度クライアントに教育できるようになった段階で、上司は私に製造現場一つの教育を一人だけでやるタスクを与えた。

めちゃくちゃ緊張した。私一人に責任がのしかかり、間違ったことを言えば後続の展開や、われらの会社とクライアントとの信用も損ないかねない。コンサルタントは、新人だからという免罪符がほぼ通用しないと聞いていたので、より緊張していた。

 

とはいえ、最初の担当先は、1人だけを教えるだけでよかった。また、その製造現場のボス的な人もどこか別の所で仕事をしていたため、私の仕事を監視する人は殆どいなかったのが幸いであった。そこでは、一つ持ち帰り事項があったため、それを上司を通じてクライアントに共有した時、自分の働きが全体の進捗に影響したため、なんとなくの達成感ないしオーナーシップが生まれた感覚があった。

 

また、次は上司が不在で、私が朝会と夕会も実施する必要があった。

正直、お客さんと一対一で会話する、ないし、上司のようにテキパキと会話して次の一手まで話を進める能力や胆力、進め方もいまいち分かっていない状態で臨んだので、めちゃくちゃ体力を使った記憶がある。そう、、8/28だったかな。いつもはクライアント側のボスが出席していたが、私が一人の時は出席されなかった。

 

それがとても、とても、とっても悔しかった。

私とは話すことはないだろう、話しても議論は進まないだろうと思われていたのかもしれない。いやあるいは、単純に忙しかったのかもしれない。またあるいは、その先週の時点で私の上司から、気合い入れて出席しなくてよい旨を伝えられていたのかもしれない。それでも、根本的には私自身が一人でプロジェクトをドライブできないことに起因していたと私は考えている。だから、その日以降、この悔しさをバネにして、上司がいなくても、ないし、途中で蒸発したとしても自分一人でこの展開フェーズをやり切れるように、頑張ろうと思った。

 

9月に入ってから、上記の悔しさをバネにしたおかげもあり、ある程度の軸を持ってお客さんと話すことができるようになり、安定感は増したと思っていた。

 

だが、ある日、上司から唐突?に振られた、インターナルでの報告会を代わりにやってほしいという要望を受けて、私は正直、「無理だろ」と思ってしまっていた。自分一人だけで現場を回すのに精いっぱいなのに、報告会で報告する内容を整理することなんて無理だと思った。その日は部下も現地にいて手が空いていたので、報告会で最悪、インターナルで吸い上げるないし突っつく必要のある項目の整理だけしておこうと思い、部下にその整理したものを作っておいてほしいと頼んでおいた。

 

だが、彼から出てきた成果物はまるで役に立たなかった。1日分彼はそのタスクに時間を費やしたのに、まじで何にも使えなかった。それを指摘しても、まったく悪びれることなく、その日の夜の食事中には「タスク指示者が悪いと思ってる節がある」という爆弾発言をかまされた。

 

無能部下のことはまた後段にまとめて書くが、インターナルの報告会は結局、上司が出ることになり九死に一生を得た。ただ、私はそれを受けて、「自分はまだ、上司がいないとプロジェクトをドライブできない」と絶望したのである。

 

その日は確か、金曜日で家に帰ったらこの記事に、今日起きたことや今迄起きたことをまとめようと思ったんだったっけな。それもまあ、副業なりやることがあって結局今日したためることになったが。

 

そんなこんなで、私は上司と同じくらいパフォームできるとは言わないものの、与えられた範囲の中でプロジェクトを推進できるくらいにはこの1か月間で成長した。

 

コンサルタントというと、リモートワーク中心で、結局自分自身で富を創出する流れから遠いところで、頭でっかちなことしかやらず、いつまでたっても現実感や納得感を持って顧客に将来像を提供できないと思っていたが、今回の経験でかなりそのコンプレックスや悩みは解消されたように思う。

 

また、前回のプロジェクトでやっていたような業務コンサルの経験が少しだけ今回の展開プロジェクトに生きたように感じた。資料作りについては私の持ち前の感性と経験に頼っていたが、発表スキルであったりヒアリングについては、前回の反省や経験を活かせたと思っている。そして、その行為に少しだけやりがいも感じた。

 

だが逆に思ったのは、私が本当にやりたいのは業務コンサルなのか?ということ。
全社的な仮想統合データベースを作成するために、業務を全社的に標準化するため、課題と浮き彫りにするというもの。それはそれでとてもスケールがでかい話だが、それはガッと売上を伸ばすような行為ではないと思う。業務を変えるということは、非常に地に足ついたヒアリングが肝要であり、むしろ業務要件定義時に決めたことをそのまま展開フェーズで実現するのは難しんじゃないかと思っている。で、あれば、業務コンサルタントがすべきこととはなんなのだろうか?

 

私は途中で抜けてしまったからか、そこら辺の接続のイメージがなんとなくイメージできない。各書で業務がバラバラなのだから、業務を標準化するというよりか、KPI自体を標準化するほうが楽なやり方であるだろう。だからこそ、いまはKPIダッシュボード云々といっているのだろうか?

 

一つクリアしたら、また一つ壁が出てくる。その繰り返し。でもそれが今は楽しい。