5月の総括 過ぎたるは猶及ばざるが如し

 

 

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涼宮ハルヒの憂鬱

 

涼宮ハルヒの憂鬱というアニメを恥ずかしながら初めて見た。

 

 

けいおん!らき☆すた等に並ぶ、現代のアニメの原点にして頂点といえるであろう稀代の傑作である。

 

 

ハレ晴レユカイ」という、キャラクターが踊りながら歌うあの有名な歌が、オープニングではなくてエンディングであることに驚いた。

 

 

他にも、「止マレ!」という曲も同様にオープニング曲のような曲調であるが、エンディング曲であるので、清々しい気分でアニメ見終えることができる。

 

 

(特に、エンドレスエイトの部分はエンディングの明るさで『なんとか来週も見てみるかぁ...』という気持ちにしてくれた。結局5つくらいしか見てないけど)

 

 

 

さて、5月はそこそこ忙しい時期であった。

 

 

GWには友人と遊び狂い、登りたかった山にも登り、2つのアルバイトに応募して無事に落とされて、フィアンセの闇を見て婚約を破棄し...

 

 

 

5月は日記をつけていなかったので、鮮明に何があったかを思い出せていない気がするが、イレギュラーで不慣れな出来事が続いて心身共に疲労していた。

 

 

勉強も十全にできていない。しかし、準備はできた。あとは、自らの習慣とそれを実行する能力によるだろう。が、そんな話は今回どうでもいい。

 

 

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 

皆さんも、よく聞いたことのあることわざの一つだと思う。

 

 

ご存知の通り、「物事を過度に行うことは、物事を行わないことのように有害である。不即不離。つかずはなれず。行き過ぎることなく、ちょうどよいところで自制して行動すること、すなわち中庸が大切である」という意味である。

 

 

私はこの言葉の意味を、真に理解できていなかった、と今になって思う。

 

www.ted.com

 

 

なぜ成功する人は成功するのか? アンジェラ・リー・ダックワースの回答は、世界的にも有名である。

 

彼女によれば、成功の秘訣は「やりぬく力(=grit)」だそうだ。

 

 

どんなことが起きても、それをやり続ける能力。

それに知能指数や、先天的な能力は関係がないどころか、それらの水準が高ければ高い人ほど「やりぬく力」は身についていないようである。

 

 

なるほど、私には「やりぬく力」が不足している。

 

 

それならば、「やりぬく力」を身につけようと考えるのが筋である。

でも、どうやって?

 

 

 

TEDで彼女は、暫時的な回答を出している。

簡潔に言うと、学習について学べば、すなわち、人間の脳は継続的な練習によって変化するということを知れば、人間は「やりぬく力」を身につけるのだそうだ。

 

 

なるほど、脳の構造を知っていれば、ちょっとした練習で効果が目に見えなくても「継続的な練習や努力」が最終的に自分の能力が向上する、という確信が持てるというわけか。

 

 

と、いうわけで私は何事も忍耐、我慢、努力するようにした。

 

 

とは言えども、無意識に「これは忍耐する必要はないな」「これはしなくても大丈夫だろ」という風に、行動の選択を感覚的に取捨選択していた。

 

 

それに気が付いた私は、このままではいけないと思い、

 

 

自らの欲望すべてに逆張りをした。

 

 

「~したくない」という欲求は全て「~すべき」という使命に脳内変換した。

 

 

 

すると、どうなったか?

確かに、自らの思考をコントロールし、社交的になり、筋道を立てて効率的にスケジュールをこなすことができるようになった。

 

 

しかし、代償として私に与えられたのは虚無感だった。

 

 

当然の結果である。欲望が抑制されれば、「何をしても無駄だ」ということを学習してしまう。

 

 

さらに、過労で救急車にも運ばれた。

 

 

つまり、私は我慢しすぎたのである。

 

 

涼宮ハルヒの憂鬱

 

涼宮ハルヒにとても共感を覚えた。

 

 

退屈な日常にうんざりし、非日常を夢見がちな心性。

刺激的な物事に対してはすぐに体が動く。悪く言えば、将来をよく考えずに軽率に行動してしまう。

 

 

だが、それでしか満足できない。そこに倫理や道徳はない。

 

 

・・・・・・・

 

私が高校生の頃に、SOS団のような部活があればなぁ...と、もう二度と繰り返すことのない青春に思いをはせたりもした。

 

 

そしてハルヒに影響された私は、自らの欲望に従って生きるようになっていた。

 

 

 

ちょうど直前まで、欲望を抑えつけて痛い目にあっていたことからの反動もあるだろう。

 

 

 

つまらないことにはつまらないとはっきり言い、面白ければ素直に興に従う。

 

 

しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如し。 振り返るとひとかけらの充実感と雑然とした混沌。

 

 

自分の欲望のまにまに、野原を駆け巡った後、来た道を顧みると縦横無尽に踏み分けられた草々。

 

 

(ムッとする)

 

 

私はこんなに綺麗だった原っぱを無秩序なカオスにしてしまった。

 

 

違う、私はこんなことをしたいわけではない。

 

 

・・・・・・・・

 

放埓な思考に気が付いたのはつい先日のことである。

 

 

自転車をこぎながら、小論文の構成を考えていたはずなのに、いつのまにか他人に倒されて少し壊れてしまった自転車のことを考えていた。

 

 

放埓な思考ならまだ納得がいく。

 

 

しかし、小論文の構成は、考える前に明確にこのことについて考えよう!と意気込んでいたのだ。

 

 

つまり、思考はあてにならない・・・・

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

過ぎたるは猶及ばざるが如しというが、これは方法論の本質であると思います。

 

 

しかし、それを自制でコントロールするのは難しい。

 

 

思考はあてにならない。

 

 

ならば、自分が即かず離れず行動できるような自分で環境を設定してあげればよい。

 

 

ということを6月は意識していこうと思います。