三島由紀夫著『金閣寺』/ はかいとせいせい、うつくしい。

(当記事は、以前運営していたブログから引用したものであります。)
 
 
溝口、君の金閣寺に対する異常に洗練された意識は著者による緻密で美しい筆致のおかげで私の中の美に対する執着心を極限まで結晶化してくれた。
 
あくまでも美が観念、いや理想の裡にのみ許されるのであり、さらに「美」は永遠性を有することはない。
 
永遠性を有するとすれば絶えず生成と消滅を繰り返すその構造自体が永遠である。
 
荒れる舞鶴湾を眺めるうちに浮かんだ、「金閣寺を燃やさねばならぬ」という想念はあたかも衝動のように描写されている。
 
私も同じであった。
 
その破壊衝動が幸福を生のうちにのみ見出す世間の流行を打ち砕く役目を果たすはずであるという決意がその想念に伴われることも。
 
 
 
 
 有為子との出会いが君に女性への何らかのトラウマを植え付けてしまい、純粋な肉体欲を見出すことにすら金閣寺を思い出してしまい、行為を留めてしまうことにも大変共感する。
 
そもそも「美」は自分から遠いところにあるのだから、これは仕方のないことである。
 
溝口、君はこの試練を乗り越えたようだが僕は乗り越えられそうにない。否、乗り越えたものの、過去に構築された極限の美を越えうる対象が存在しない。私も金閣を燃やさねばならぬのか。